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2015-07-17(Fri)
この曲は、味の素のCM(1987年)に使うために、小椋佳さんに作詞作曲を依頼して、それを美空ひばりさんが歌いました。
CMの曲から生まれたいい曲は、ほんとにたくさんあります。

そして、この曲はたくさんの歌い手がCoverしています。
今日は、変わった人のCaverを含め紹介いたします。

よい週末を。 (^^

・ 愛燦燦(美空ひばり)

・ 愛燦燦(小椋佳)

・ 愛燦燦(EXILE ATSUSHI)
Category : 音 楽 Comment : (0) |
2015-07-14(Tue)
わたしたちが御本尊に題目を唱えて礼拝するとき、御本尊もわたしたちを礼拝して題目を唱えているのを御存じでしょうか。 御本尊の中では、日蓮大聖人を導師として釈迦・多宝を含め悉くが、そのままの姿で南無妙法蓮華経と唱えているのです。 如来秘密といって御本尊は法を説きませんから、わたし達には聞こえませんが、唱えているのです。 そして、そのことが、わたしたちの仏性を呼び起してくれるのです。

御書には『 夫れ妙法蓮華経とは一切衆生の仏性なり仏性とは法性なり法性とは菩提なり、所謂釈迦・多宝・十方の諸仏・上行・無辺行等・普賢・文殊・舎利弗・目連等、大梵天王・釈提桓因・日月・明星・北斗・七星・二十八宿・無量の諸星・天衆・地類・竜神・八部・人天・大会・閻魔法王・上は非想の雲の上・下は那落の炎の底まで所有一切衆生の備うる所の仏性を妙法蓮華経とは名くるなり、されば一遍此の首題を唱へ奉れば一切衆生の仏性が皆よばれて爰に集まる時我が身の法性の法報応の三身ともに・ひかれて顕れ出ずる是を成仏とは申すなり、例せば篭の内にある鳥の鳴く時・空を飛ぶ衆鳥の同時に集まる是を見て篭の内の鳥も出でんとするが如し 』とあります。 また、『 仍て法界が法界を礼拝するなり自他不二の礼拝なり、其の故は不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の仏性又不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向つて礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり云云 』とあります。

信じなくても、南無妙法蓮華経と御本尊に唱えると、生命の次元で境智冥合してゆきます。 そして、御本尊の最高の力を生み出していくのは、やはり” 信じる ”ことです。  この” 信じる ”というのは御本尊と思いがちですが、そうではなく、自分自身が妙法の当体であることを” 信じる ”ことなのです。 御本尊の力で幸せになるように見えて、ほんとうは、わたしたちの、この祈りと行動によって、御本尊はわたしたちを幸せにできるのです。 二仏並座はこのことを示すもので、わたしたちと御本尊は而二不二、境智不二の関係にあります。


※ 2015/07/17改訂
Category : 御本尊 Comment : (2) |

* by 王者の剣
>「例せば篭の内にある鳥の鳴く時・空を飛ぶ衆鳥の同時に集まる是を見て篭の内の鳥も出でんとするが如し」

私もこの御文が大好きです。妙法を唱えれば我が身の仏性も、諸天も歓喜するのでしょう。まるで無数の幸福が、我が身から羽ばたいていくような光景が目に浮かびます。我が身の威光勢力も増長し、生活も充実、充足していくことでしょう。

仏の生命ゆえに、常楽我浄の大歓喜の生命となって、現実の娑婆世界で今世の使命を果たしていきたいと思います。

暑さが厳しくなってきましたね。お体を大切に。


* by 夕焼け.
王者の剣さん、こんばんわ。

ほんとうに、熱いですね。
お互い、熱中症に気をつけながら、
祈って、動いて、汗をかいていきましょう。

2015-07-13(Mon)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 寂日房御書(902P) 
『 夫れ人身をうくる事はまれなるなり、已にまれなる人身をうけたり又あひがたきは仏法・是も又あへり、同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる結句題目の行者となれり、まことにまことに過去十万億の諸仏を供養する者なり。 』

【 通解 】 
『 およそ人身を受けることはまれである。 すでに、そのまれな人身を受けている。 また、あいがたきは仏法であるが、これにもまたあうことができた。 しかも、同じ仏法のなかでも、法華経の題目にあいたてまつり、結局、南無妙法蓮華経の題目の行者となった。まことに、まことに、あなたは過去世で十万億の諸仏を供養した方であろう。 』

【 指導 】
* 皆さま方は、日蓮大聖人の正法を実践しておられる。 どれほどの福徳と深き使命の方々であるか。 また大聖人は、いかばかり讃歎あそばされることであろうか。
皆さま方が、これ以上はないという最高の幸福を勝ち得ることは絶対にまちがいない。 もはや、一人ももれなく、三世永遠に崩れざる幸福の軌道に入っておられることを確信していただきたい。

< 御書とその心 >より


この仏法を持つことができる幸せは、計りしれないことなのです。 それなのに、くだらない利己主義に振り回されて、退転していく人の、なんとみすぼらしく、哀れな姿でありましょうか。 閻魔王の鏡にはきっとそのように映ることでしょう。 退転してから、さんざん創価の悪口を言うことは、負け犬の遠吠えと同じであり、みっともない限りであります。 最初は何事もないようであっても、かならず地獄のような生活と精神に苛まれるようになるでしょう。 還著於本人となって返ってゆきます。

戸田先生は、退転した人が、そのまま姿を消せばよいものを、こうなりましたと、わざわざみすぼらしい姿を見せに出てくる、というような話をされていました。 しっかり信心をした人と、そうでない人の差は歴然であります。 信心して、そのときにはわかりませんが、長い間にその差が出てきてしまいます。 また、長い間、信心してきたとしても、最後になって退転してしまっては、舎利弗が乞眼の婆羅門の責に耐えられず、長遠に重ねてきた努力を水の泡にしたことと同じであります。 千載一遇と言ってよい、この身の福運を大事にしなければいけません。

大事なことは、感謝の心で、報恩の心で、広宣流布のために信心を起こしていくことです。 それは、人としての道にも適うことであり、仏の道でもあります。


※ 2015/07/13改訂
Category : 御 書 Comment : (0) |
2015-07-10(Fri)
雨がこう長く続くと、ちょっと嫌でしたが、今日は晴れて一息でしょうか。

台風が近づいてきているので、また続くのかもしれませんが、
この台風が本格的な” 夏 ”を連れてくるのかもしれません。

若いころは、サンダル履きに短パンとTシャツで、燦々と降り注ぐ太陽の日差しと海の潮風に吹かれるのが、とても好きでした。 今はというと、薄い長そでに身を包み日陰を選んで歩いています。 それでも、夏は海に憧れます。 白い砂浜と透き通る青い海、抜けるような青空に入道雲、波の音と遠くから聞こえる海鳥の鳴く声、樹の木陰に潜んでその総てに包まれていたいと思います。

” 夏 ”といえば、わたしたちの年代では、加山さんかサザンになってしまいます。

よい週末を。 (^^

・ その日海からラプソディー


関連曲 → 好きにならずにいられない
Category : 音 楽 Comment : (0) |
2015-07-09(Thu)
宗教の要は本尊にありますが、大概の仏教宗派は本尊に迷っています。 この、本尊の迷い、つまり何を本尊とすれば良いのか知らないことが、人々を不幸に導いているのです。

釈迦が入滅してから、残された弟子たちは釈迦の教えだけを支えにして修行を続けていました。 しかし、やがて、寂しさからか、釈迦の遺骨を大事に思ってか、遺骨を納めた塔を建て始め、さらに寺院に釈迦の絵や像を作って納め、それを拠りどころとするようになりました。 そして、釈迦以外の如来像や菩薩像そして守護神まで造立して、それぞれに崇めるようになってしまいました。 今では、仏教の本尊といえば絵や像がほとんどであり、それが正しいと思っています。 

はたして、釈迦は、根本とすべきものについて、どのように言及しているのでしょうか。
釈迦は法華経の法師品で「 薬王在在処処に若しは説き若しは読み若しは誦し若しは書き若しは経巻所住の処には皆応に七宝の塔を起てて極めて高広厳飾なら令むべし復(また)舎利を安んずることを須(もち)いじ所以は何ん此の中には已に如来の全身有す 」と説き、涅槃経の如来性品では「 復(また)次に迦葉諸仏の師とする所は所謂法なり是の故に如来恭敬供養す法常なるを以ての故に諸仏も亦常なり 」と説き、普賢経には「 此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり十方三世の諸仏の眼目なり三世の諸の如来を出生する種なり 」と説いております。
そのことを受けて、天台大師は法華三昧懺儀で「 道場の中に於て好き高座を敷き法華経一部を安置し亦必ずしも形像舎利並びに余の経典を安くべからず唯法華経一部を置け 」と指南しております。 つまり、法華経の教えを根本とし、修行の場において舎利や絵像を置いてはならない、ただ法華経一部を置くように、と定めているのです。

本尊というのは宗教の命だというのに、現在の仏教宗派のほとんどが、この釈迦の教えを守っていません。 残念なことに、守っていないのはこのことだけではなく、釈迦の遺言である「 義に依りて語に依らざれ 」「 智に依りて識に依らざれ 」「 了義経に依りて不了義経に依らざれ 」「法に依りて人に依らざれ」 という法の四依においても、悉く師敵対している、というのが実情です。 ただ日蓮大聖人お一人は、『 法華経の題目を以て本尊とすべし 』と仰って。 法華経の肝心を本尊とされています。 涅槃経には「 若し仏の所説に順わざる者有らば当に知るべし是の人は是れ魔の眷属なり 」 とありますから、日蓮大聖人以外の宗派はすべて師敵対している邪宗教と言わざるおえないのです。

日蓮大聖人を敬っているようにして、日蓮大聖人を下している日蓮系の宗派や悪しく敬っている日顕宗も、この本尊というものに迷っていて知りません。 じつに情けないことです。 天台大師が「 唯法華経一部を置け 」と言った” 義 ”をよくよく心に想うべきであります。 日蓮大聖人は『 此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり然れども我等は肉眼なれば文字と見るなり、例せば餓鬼は恒河を火と見る人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれども果報に随つて別別なり、此の経の文字は盲眼の者は之を見ず、肉眼の者は文字と見る二乗は虚空と見る菩薩は無量の法門と見る、仏は一一の文字を金色の釈尊と御覧あるべきなり即持仏身とは是なり 』と、また、『 釈迦仏と法華経の文字とはかはれども心は一つなり 』と仰って、法華経の文の底に秘し沈められた妙法を取り出だし、それを記し顕わされたのが御本尊であります。


※ 2015/07/11改訂
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2015-07-07(Tue)
真言密教では、大日如来が色究竟天法界宮において「 大日経 」を、金剛宮において「 金剛頂経 」をそれぞれ説いたとしていますが、色究竟天というのは、三界(欲界・色界・無色界)の中の色界の頂にあり、大自在天(摩醯首羅)の住処であります。 大日如来は法身だと言っていて、色界で説法するのもおかしなことですが、大日経疏には「 此宮は是れ古仏菩提を成ぜし処、所謂摩醯首羅天宮 」と書かれています。 報身と法身の混乱があるようであります。

この大自在天というのはヒンズー教の主神であるブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァのうち、シヴァ神のことだとされています。 このシヴァ神は破壊を司る神です。 ヒンズー教で、釈迦如来をヴィシュヌ神の化身として位置づけていることを思い合わせると、真言密教で言う大日如来というのは、大自在天のことで、シヴァ神を崇める六師外道(バラモン)の流れを汲む者が、仏教に擬態してきたことを暗示しています。 御書に『 大慢婆羅門が大自在天・那羅延天・婆籔天・教主釈尊の四人を高座の足につくりて其の上にのぼつて邪法を弘めしがごとし 』とありますが、真言宗はまさにそのとうりであります。
三界の主であり、師であり、親は、三身即一の釈迦如来ですから、普賢経に明らかな如く、本来の大日如来は釈迦の分身仏であり、長広舌を大梵天に乗せ、法華経は真実なりと証明した十方の諸仏の一人なのであります。 大慢婆羅門には、大日如来が爾前権経の他受用身であり、報身に二義二身あることすら弁えることもできず、ましてや、法華経の自受用身や法身など想像すら及ばないことであります。

真言密教がいうところの真言(漫祖羅)といっても仏の真言(陀羅尼)ではなく、また、たとえ仏の真言を用いていても爾前権経の真言であり、その本質は擬態した外道(バラモン)の神呪に過ぎず、外道(バラモン)の三密(身口意)から離れるものではありません。 シヴァ神が破壊の神といわれるように、真言密教は仏法を破壊しようとしているのが、その真の姿であります。 さらに欲界の主・他化自在天(第六天の魔王)が身に入って、法華経を誹謗する空海によって立てられたのが真言宗であります。 これに従がうならば、即身成仏どころか堕地獄は疑いようがなく、それは仏の金言(法華経)による定めであります。


※ 2015/07/11改訂
Category : 仏 教 Comment : (0) |
2015-07-06(Mon)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 御義口伝(716P) 
『 我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり 』

【 通解 】 
『 われわれの頭は妙であり、喉は法であり、胸は蓮であり、腹は華であり、足は経である。 この身の全体が妙法蓮華経の五字なのである 』

【 指導 】
* 「 妙法蓮華経 」を体に配せば「 妙 」は「 頭 」。 「 法 」は「 喉 」― 喉は声を出す、すなわち法を説くことに通ずる。 「 蓮 」は「 胸 」― 心臓が二つの肺臓に包まれた姿が蓮に似ている。 「 華 」は「 腹 」。 そして、「 経 」は「 足 」にあたる。

「 足 」とは、「 行動 」に通ずるともいえよう。 「 行動 」があって初めて、真の妙法蓮華経となる。 「 行動 」とは、日々の学会活動である。 そこにこそ「 百福 」が積まれていく。 広宣流布への行動を最後まで貫くことである。 どんな道でも、歩みを途中で止めれば、目的地に到達できない。 それと同じく、せっかく仏法の「 無上道の軌道 」に入っても、途中でやめてしまえば、それまでの努力も無駄になってしまう。 成仏の境涯を得ることはできない。 ゆえに、みずからも「 行動 」し、人にも「 行動 」への励ましを贈る。 それが正しい慈悲の軌道である。

「 仏法 」のため「 広宣流布 」のため、そして「 人間 」のために、真剣に祈り、走り、行動していく。 そこに大いなる福運がついてくる。 「 行動 」もなく、ただ拝んでいる ― それは日蓮仏法ではない。

< 御書とその心 >より


ここのところは大事な御文であります。
他の御書には、『 妙法蓮華経の体のいみじくおはしますは何様なる体にておはしますぞと尋ね出してみれば我が心性の八葉の白蓮華にてありける事なり、されば我が身の体性を妙法蓮華経とは申しける事なれば経の名にてはあらずして・はや我が身の体にてありけると知りぬれば我が身頓て法華経にて法華経は我が身の体をよび顕し給いける仏の御言にてこそありければやがて我が身三身即一の本覚の如来にてあるものなり 』 とあります。

わたしたちの行住坐臥が妙法蓮華経の当体であり、それを信じて、御本尊に南無妙法蓮華経と唱えながら、広宣流布のために生き抜いていけば、須弥山に近づく鳥と同じように、やがて妙法蓮華経如来の当体となって、金剛不壊の境涯を得ていくことができるのであります。 わたしたちが拝する御本尊には、そのことが明確に説かれています。
Category : 御 書 Comment : (0) |
2015-07-03(Fri)
いま、古代ハス(蓮華)が見ごろを迎えているようですね。

この植物は、仏法と取分け縁が深く、妙法の比喩としてふさわしいものを持っています。 そのことについて、日蓮大聖人は『 妙法蓮華経と申すは蓮に譬えられて候、天上には摩訶曼陀羅華・人間には桜の花・此等はめでたき花なれども・此れ等の花をば法華経の譬には仏取り給う事なし、一切の花の中に取分けて此の花を法華経に譬へさせ給う事は其の故候なり、 』と仰っております。 ( 詳しくは上野尼御前御返事(1580P)をお読みください。 )

雨も降り、ハスの艶やかな花模様は、きっと美しいに違いありません。 今日は、小椋桂さんの曲をお聞きください。

よい週末を。 (^^

・ うす紅色の花


関連曲 → 六月の雨
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* by 夕焼け.
No.406さん、こんばんわ。

そうですか、お出かけご苦労様でした。
(^^

2015-07-02(Thu)
真言宗の枉惑について、いくつか記事にしてきました。 また、浄土宗や禅宗も取り上げてきました。
そのなかで、とても強く感じるのは、3つの宗派が釈迦の説いた教えを、自分勝手に判じて、自分勝手な考えに創り上げていることです。 その証拠に、それぞれの主張の根拠となるような、釈迦の言葉がみあたらないことです。 各宗派を自認する人は、経典にある釈迦の言葉を捜して確かめるべきであります。 果たして宗祖が主張するような釈迦の言葉があるのでしょうか。 無いとなれば、各宗派は仏教だと主張しても、それでは、とても仏教とはいえません。 使う言葉は仏教用語でも、内実は仏教(内道)ではなく人教(外道)というべきです。 しかも、己義をかまえる論・釈というだけならまだしも、宗とかまえて、釈迦の肝心要の教えを否定するならば、人教(外道)ですらなく魔教(地獄道)の領域にあるといえるでしょう。

昔から、四個の格言(念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊)は知っていましたが、その破折の理由までは知りませんでした。 正直なところ、あまり興味を持たなかったので、詳細な内容まで踏み込んでいませんでした。 しかし、文部科学省が発行する宗教年鑑を調べる機会があり、3つの宗派の寺院数や信者数が、とても多いことに驚かされ、このままにしてはおけないと思ったのです。 信者数は登録宗派全体で日本の人口をゆうに越えますから、数字そのものは信頼できないかもしれませんが、創価学会など足元にもおよばないほどの寺院数と信者数です。 大聖人の時代と同じような状況では、ふたたび日本は、破国の道を歩んでゆくでしょう。
Category : 仏 教 Comment : (0) |
2015-06-30(Tue)
創価の第二代会長である、戸田先生は、どのようにして広宣流布を成し遂げるのか、そのことについて語っていますが、少なくとも信心している人の中から、社会のあらゆる分野で活躍する人材が、輩出されてこなければ広宣流布はできないと仰っています。 その人材というのは、実力と実績を備え、人類社会に貢献する逸材を意味しているのですが、戸田先生の時代に、そのことを理解する人は少なく、その少ない中でも、実現するために実際に行動した人は池田先生しかいませんでした。

池田先生は第三代会長に就任してから、まず高等部(1964年6月)を、そして中等部(1965年1月)さらには少年部(1965年9月)と次々と結成されて、妙法を持(たも)った未来の多様な人材群を育成するために、全魂を込めて、信心の楔を打ち込んできました。 そして、今、世界広宣流布の新時代を迎え、その鳳雛は鳳凰となって羽ばたき始めています。
ある人は社長となり、ある人は医者となり、またある人は外交官となり、そして、ジャーナリスト、弁護士、経営コンサルタント、建築家、都市計画家、地球環境研究者、物理学者、科学者、教育者、芸術家、芸能人、音楽家、スポーツ選手、料理人、レストランオーナー、パテシェ、タンカーの船長、国際線機長などなど、あらゆる分野で、有為な人材が活躍しているのを目にするようになりました。 いずれは、世界中の地域に創価の連帯が拡がって、その中からノーベル賞を受賞するような人も出てくるにちがいありません。

広宣流布がすすむと、その中から人材が生まれ、人類の幸福と社会の平和に貢献するようになります。 「 立正安国 」というのはそうゆう原理にほかなりません。 広宣流布という運動が人材を生み出し、人類の宿命転換を成し遂げ、苦脳の娑婆世界を常楽我浄の寂光土へと変えていくのです。 広宣流布というのは、単に信心する人が増えるということではないといえます。 日常という戦場の中で仏道修行に挑みながら、宿業・境涯を変え功徳・福運を積み、妙法を持(たも)った智勇兼備の慈悲の人となって、陸続と社会に躍り出てゆき、人類の幸福を築いていくことであります。 人類の幸福と平和な社会がなければ、広宣流布の実はないのです。

今はあまり聞きませんが、わたしが学生部のころはこれを” 総体革命 ”と言っていました。 わたしも、理想に燃えて情熱を傾けた思い出があり、それは今でも懐かしく、思い出されるたびに胸が熱くなります。 いよいよ、その時が近づいてきているんだな、と、学生部結成記念日に思います。
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2015-06-29(Mon)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 新池御書(P1439) 
『 法華の心に背きぬれば十方の仏の命を失ふ罪なり、此のをきてに背くを謗法の者とは申すなり、地獄おそるべし炎を以て家とす 』

【 通解 】 
『 法華経の心に背けば、十方の仏を殺す罪である。 この定めに背くのを謗法の者という。 地獄は恐れるべきである。 炎を住処としている。 』

【 指導 】
* 日蓮大聖人は、このように戒められておられた。 仏法においては「 法 」が根本であり、広布を妨げ「 法 」に背いた罪は、あまりにも重く、深い。

謙虚に、また地道に自己を磨き、境涯を高めていくのが” 一生成仏への道 ”である。 反対に最高の法を持ちながら、人をおしのけ、人をおとしいれるような、策を根本とした生き方は、” 永遠の苦悩の道 ”である。


< 御書とその心 >より


仏法では「 法に依って人に依らざれ 」というのが根本であります。 この「 法 」というのは、法華経に説かれていることであり、仏の金言のことです。 さらに、深く立ち入っていえば、その心である南無妙法蓮華経のことをいいます。

現在の邪宗教は、皆悉く、この「 法 」に背く過ちを犯しています。 「 法 」つまり仏の金言に依らず、「 人 」つまり人師の妄言に依ってしまい、法華経に背き、師である釈迦に敵対してしまっていることであります。 涅槃経には「 若し仏の所説に順わざる者有らば当に知るべし是の人は是れ魔の眷属なり 」 とあり、天台大師の法華玄義にも「 文証無き者は悉く是れ邪偽・彼の外道に同じ 」とあります。 仏の説いた経典に無いものを、有ると偽り、仏の心を殺しているのが、邪宗教の本質であります。 

池田先生の指導で「 地道に自己を磨き、境涯を高めていくのが” 一生成仏への道 ”である。 」とありますが、なにを持って磨くのか、「 一人の友に妙法を唱え伝えようと、真剣に祈り、語りゆく 」 ことによって磨くのであり、「 御本仏の大生命は厳然と、また脈々と流れ通う 」ことで、境涯を仏に染めていく以外に” 一生成仏の道 ”はありません。
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* by 気分屋
ご無沙汰してます。折伏の事で気になる事があります。実は紹介者の私に連絡すること無く、話が進み、婦人部が本流を決めました。日取りまで勝手に決めてしまい、なんか納得いかない状況です。御安置できることは大変喜ばしい事ですが。以前に夕焼けさんに折伏の成果など気にするなと指導頂きました。誰の成果でもいいのですが、もう少し筋を通せないかと思ってしまいます。

* by 夕焼け.
気分屋さん、こんばんわ。

いただいたコメントからでは実態が判りませんが、わたしの経験をお話ししたいと思います。

学生時代の事ですが、同じ学科の友人で、なかなかの好青年でした。 機会があったら信心の話をしてみたいと思って、学園祭のセミナーに誘ってみました。 約束どおり来てくれて、セミナーの後にテーブルを囲んで先輩幹部と折伏をしました。 話はいたってスムーズに進み、大きな反発も無く彼は話を聞いてくれました。 しかし、やはり入会となると決めかねて、また、次回の対話を約束して帰りました。 後日、喫茶店に誘い何回か対話を重ね、そして、5回目に「 やってみないと、解からないよ 」と説得して入会の約束をしてくれたのです。 ところが、日曜を挟んで翌々日に教室で再開したときに、ニコニコしながら、入会して御本尊を戴いたと話し始めたのです。 よく聞くと、彼の彼女が女子部員で学会の話を前から聞いていたが、わたしとの対話で決心がつき、わたしと約束した後に彼女に入会したいと伝えたそうです。 彼女は喜び、翌日には御受戒を受けにいったのでした。 それをきいて、わたしは一応は喜んだのですが、内心は「 え~、聞いてないよ~ 」でした。 (^^

もう一つは、やはりクラスの友人で、今度は入会の手続きを済ませ、住んでいる組織に紹介し、拠点で何回か勤行をさせてもらっていて、御受戒を受ける日になって、そこのブロック組織の人が別の紹介者の名前で御本尊下付願いを用意していてびっくりしたことがありました。 学生部の場合は、ブロックの組織と学内の組織があり、折伏となると学内がメインで、ブロック組織にも所属させなければならないことから、うっかりするとこのようなことが起きていました。 この時には学内幹部が申し入れわたしが紹介者となっています。

さらに、折伏していたクラスの友人をセミナーに誘っていて、そのときには複数来ていたために、もう一人と対話している間に、その友人が学内の部員に呼び止められて、何人かで折伏され入会を決意していました。 その部員は同じクラスで顔見知りだったために、友人は素直に別の対話のテーブルにつき、わたしが知らない間に決まっていたのでした。 この時は、その部員を紹介者としました。

ハッキリとはわかりませんが、良きにつけ悪しきにつけ、同志を怨むようなことがあってはいけません。 人には宿業により、生命の傾向性があります。 心を試されていると思って、題目をあげ、境涯を高めていく機会にしてください。 また、言わなければいけないことは、同志と言えども言わなければいけません。

それでも、御本尊流布までの労に汗を流した方たちに感謝してもおかしくありません。 誰が見ていなくとも、身に影が沿うように両肩に同名同生天が、気分屋さんの一生を残らず記録しているので、御本仏は御存じであります。 入信のきっかけを作った功徳はだれも奪うことはできません。

* by 気分屋
いつもありがとうございます。なんか楽になりました。しっかり題目をあげて境涯革命できるように頑張ります。

2015-06-26(Fri)
この曲は、前に山口百恵さんの歌として紹介しています。

どちらかというと、わたしは百恵さんの歌のほうが気に入っていますが、今日は、作曲した来生たかお さんの歌で聞いてください。

雨が続くようですから、おだやかな時間を楽しんでください。

よい週末を。 (^^

・ おだやかな構図
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2015-06-25(Thu)
昨日、帰りの電車に乗って走り出したところで、Wi-Fi端末を会社に置き忘れたことに気付きました。

年を取ると忘れる事が多くなります。 しかも、その場では「 なにか忘れていないだろうか 」と考えても思い浮かばずに、その後しばらくしてから突然思い出す、というぐあいで、昨日もそのパターンでした。

もう少し帰りの時間が早ければ戻ったのですが、夜9時を過ぎると途端にビルの警備が厳しくなり、手続きも面倒なので、昨日はそのまま帰宅することにしました。  

前に記事にしていますが、我が家は固定電話を無くし、携帯と無線のインターネット環境にしているために、Wi-Fi端末がないと帰ってからインターネットが使えません。 そのため、記事の投稿もできず、記事を考えることも書くことも止め、静かに音楽を聴くだけの夜となりました。

インターネットの無い世界というのは、とてもゆっくりとした時間が過ぎてゆきます。 インターネットの世界には様々な情報が溢れ、あれもこれもと、忙(せわ)しなく追い立てられるような時間となりますから、昨日のような夜も良いものです。

それでも、今日になれば、元のように忙(せわ)しなくPCに向い、あれやこれやとキーを打っています。 (^^;
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* by ちよ
私も 物忘れが 凄いです(笑)
忘れた事すら 忘れます
忘れるって ある意味 大事な能力とか・・・???
でも いい音楽は 覚えているんですよ

たまには ネットから離れるのも いいですよね
今度は お互い いつになるのかなぁ?

* by 夕焼け.
ちよさん、こんばんわ。

いつでも、いいんですよ。
繕わず、働かせず、でいきましょう。 (^^

2015-06-22(Mon)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 御義口伝(P753) 
『 今日蓮等の類いの意は即身成仏と開覚するを如来秘密神通之力とは云うなり、成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり、此の無作の三身をば一字を以て得たり所謂信の一字なり、仍つて経に云く「我等当信受仏語」と信受の二字に意を留む可きなり。 』

【 通解 】 
『 今、日蓮およびその門下の元意でいえば、即身成仏と開き覚ることを「 如来の秘密・神通の力 」というのである。 成仏すること以外に「 神通 」も「 秘密 」もない。 この無作の三身をただ一字をもって得ることができたのである。 いわゆる「 信 」の一字である。 ゆえに経文に「 我ら等当に仏の語(みこと)を信受したてまつるべし 」とある。 この「 信受 」の二字に心を留めるべきである。 』

【 指導 】
* 「 秘密 」といい、「 神通 」といっても、「 即身成仏 」すなわち、この人生で、このありのままの自分が、絶対的幸福を得ること以外にないのである、とのご断言であられる。 仏法にはそれ以外に、何か特別な、神秘的なものは何もない。 いわんや、神秘めかした格好で民衆の幸福を破壊するような聖職者は、断じて、日蓮大聖人の仏法とは” 無関係 ”なのである。 大聖人ご自身も” 民衆をあざむく神秘主義 ”と敢然と戦われた。 絶対にだまされてはならない。
「 仏語を信受 」と経文にあるように、私どもは「 仏 」のお言葉、御本仏日蓮大聖人の御書を信じている。 どこまでも「 大聖人根本 」であって、途中の人師、論師が明らかに大聖人に背く言動を始めたら、絶対に従がうわけにはいかない。

< 御書とその心 >より


ここでいう「 信 」とは、身口意の三業の「 信 」をいいます。 そう簡単なことではありません。

それでも、即身成仏するのに、頭の良い悪い、知識が有る無い、地位の上下、財産の有無、男か女かは関係がないということであり、そのままで、仏語つまり法華経、法華経つまり御本尊を、身で信じ行動し、口でも信じ対話し、心で信じ祈り切ってゆけば、如来の秘密である神通の力が湧き、生命の宝珠を求めずして得ることができるのだと思います。

この「 信受 」の「 受 」 とは、『 無作の三身をば一字を以て得たり 』の” 得たり ”に当る部分であり、即身成仏のことなのです。 邪宗門が言うような、大御本尊(大聖人)の化身である法主に従がうことを意味しているのではありません。  「 信 」の一字が大事だと、日蓮大聖人が仰っておられるのは、まことに故あることなのです。
創価の会則改訂も時の流れとはいえ「 信 」の一字になったというのは、偶然ではないように思います。


※ 2015/06/23改訂
Category : 御 書 Comment : (0) |
2015-06-19(Fri)
今日は、来生たかおさんの曲を紹介しておきたいと思います。 

来生さんの曲は、姉の来生えつこさんが作詞を担当していることもあって、女性の想いを表現した作品が多く、そのなかでも、わたしは「 はぐれそうな天使 」がとても気に入っています。

よい週末をお過ごしください。 (^^

・ はぐれそうな天使


関連曲 → 浅い夢
Category : 音 楽 Comment : (4) |

* by ちよ
はじめて聞きました
いい歌ですね

* by 夕焼け.
ちよさん、こんばんわ。

女性の心理が、うまく表現されていますよね。
これからも、来生さんの曲を紹介していきます。

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* by 夕焼け.
No.396さん、こんばんわ。

その件については、右カラムのところにある、
「 著作権について 」のコメントをお読みください。

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