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2011-10-25(Tue)
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宗教には、個人と社会の両面に対し、規律を則す役割があります。 多くの苦しみや悲しみは、他との関係性の中から生まれており、それを防ぐために自己規律や鍛錬、他への寛容と慈しみといった具体的な修練や導きが行われてきました。 大なり小なり、宗教にはかならず戒律があります。 それらが、個人と社会の破滅を抑制する効果をもたらして来たのです。
そしてもう一つの役割は、 ” 死 ” にたいする態度を用意することにあります。 だいたいの宗教は死後を認めていて、いろいろな考えが見られます。 ザックリと分ければ、死んでからあの世で暮らし続ける。 というのと、死んでからまた生まれ変わり、それが繰り返される。 というものです。 いずれの場合も、この世での人の行為は死んだときに裁かれるとしています。 これは、行為の善悪を担保にした脅しと見れなくもないですが、社会の無秩序な争いや混乱を防ぐために必要不可欠なものだったのです。 その絶対的な施行者として ” 神 ” があり、仏教では ” 法 ” だったのです。 このようなことから、信仰を持たない人は、勝手で、欲望に支配された、弱肉強食の動物のような生き方になる。 と、社会では見ていたのでしょう。 

ではなぜ、 ” 宗教はアヘンである ” とまで言われるようになったのでしょうか。 この言葉は、マルクスが 「 ヘーゲル法哲学批判序論 」 で使ったもので、今はこの言葉だけが独り歩きして、宗教は人間にとって害こそあれ利するものは一つも無いという意味で使われるようになりました。 しかし、マルクスやエンゲルスは宗教を否定したことはありません。 また、当時の支配的宗教であるキリスト教について述べたものなのです。 要するに現実の不幸や、社会の不条理といった病理に対し、幻想的幸福としての宗教を破棄して、現実的幸福を要求することが必要だとしたのです。 そして、宗教は痛み止めという意味でアヘンと表現し、根本の治療とはならないので、社会には現実的不幸が蔓延していくだけだとしたのです。 マルクスの指摘は的確であり、その通りだとわたしも思います。 マルクスが、今、社会変革と絶対的幸福を追求し、現実的幸福を掴みながら前進する創価の姿を見たら、はたしてこのように言ったでしょうか。 きっと驚き、光が差しこんできた思いで刮目したに違いありません。
 
当時のヨーロッパでは宗教は為政者の道具に成り下がり、聖職者は権威と富にしがみついていました。 王と聖職者という神の恩恵者と代行者が、共に、きらびやかな衣装の下に、醜い欲望をおおい隠しながら、実は神に怯えている。 というような絵を見る思いがいたします。 マルクス、エンゲルスに始まる共産主義革命は、民衆の力により成し遂げられました。 しかし、現実的幸福を獲得することは遂に出来ませんでした。 やはり、人間の心の奥深くに潜む闇が、抑圧と悲惨を生みだしたのです。 ベルリンの壁と後の崩壊はそれを見事に象徴しております。 社会は歴史の中で唯心・唯物と大きく振れ動きましたが、まだまだ混沌としております。
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