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2011-10-24(Mon)
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宗教を心の修養、精神の鍛錬として捉える人は多いと思います。 たしかに、心の安らぎや安心の糧としての役割はとても重要で、古くから社会的規範や道徳・良心の礎ともなっています。 しかしその一方で、従属的で他人まかせの無気力な行為と捉える人もいて、日本では無宗教であることが、まともな人間の証のように思われる傾向にあります。 しかし、世界を見てみると、だいたいがその反対です。 まともな社会では信仰心の無い人間は信頼されないか、異端視されます。 信仰は人間が人間らしく生きるために必要なもので、それが無ければ動物のように生きるしかないと捉えているからです。
そもそも、わたしは無宗教などというものは無いと思っています。 それは無宗教という宗教なのです。 ここでは詳しく触れませんが、願う対象や信じる内容が違うだけなのです。 共産主義は宗教を疎外しますが、これも制度や指導者を崇拝し、イデオロギーを戒律とした宗教といえます。

宗教は、人間の祈りから生まれています。 「 災害や危険な動物に遭いませんように 」 「 病気になりませんように 」 「 食べるものを確保できますように 」 生存の欲求から始まり、様々な欲望の充足や悲しみ・苦しみから逃れる思いまで、だれもが抱く願い、心理です。 最初から宗教があったわけではなく、この 「 願う心 」 がそのまま 「 祈り 」 となり、祈りの対象を求めて宗教が生まれてきたといえるでしょう。 原始の時代には、人間の力が及ばない、過酷な状況が今よりも切実にあったに違いありません。
最初に人類が求めた祈りの対象は、自然界や祖先あるいは匿名的な何かでしたが、社会性が生まれ、定住文化が発展するにともない ” 神 ” を見いだすようになりました。 また、事象の探求と死に対する準備をするために教義・儀礼が生まれてきました。

バラモン、ヒンズー、は自然または神性の摂理に、ゾロアスター、ユダヤ、キリスト、イスラームは創造神の摂理に対象を求めており、ほとんどが人間の外に視点を置いている宗教です。 それに対し、人間とその生命の内に視点を置いているのが仏教であります。 人間の心の探求から、もっと奥深いところにある生命の階層とその本質を明らかにして、事象のすべてに意味を見出しているところに特徴があります。 特に成仏という概念は他の宗教にはあまりみることが出来ません。 キリスト教のグノーシス派やバラモン教に、似たような概念はありますが、人間から離れた存在を想定していますので、仏教とは異質なものです。
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