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2011-08-25(Thu)
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創価の信心をされてない方と話をしてると、 ” 信心していても、病気していたり、貧乏じゃないか ” とか ” 信心してる人でも地獄の苦しみを受けているじゃないか ” と言って、他の宗教を批判する創価を非難します。 しかし、この非難はとても低劣なものなのです。 それは大半が裏づけのない感情から出ているものだからです。
 
まず、 ” 信心していても、病気していたり、貧乏じゃないか ” という非難ですが、これは、信心することと創価の会員であることを一緒くたにした非難です。 創価の会員であれば、全員が信心を正しく、まじめに実践していると決めつけて、都合よく評価しているのです。 よく考えれば、道理を無視しているのが判るのですが、感情がそうさせるのでしょう。 創価の会員になるだけで、宿命転換して幸福になるわけがありません。 ダイエット教室の生徒になっただけで、ダイエットできるなら苦労はありません。 そんな簡単にいくわけがありません。 この非難の背景には、世間のお粗末な宗教観があります。 それは、宗教が”棚からボタ餅”的な、他力本願なものだという認識です。 これは願望といったほうがいいかも知れませんが、自己の因果を置き去りにした一方的な論理なのです。 創価はそんな非科学的な立場はとりません。
それから、この非難は三世の生命観を知らない、あるいはわざと無視した非難なのです。 今でも非難しているのに、過去世にどれだけこの正しい仏法を非難してきたか、人には正法誹謗の罪がどれだけあるか知れないのです。 また、貪・瞋・癡の命で、どれだけ人の心と体を傷つけてきたか、その人の宿業のバランスシートがどうなっているのか、そういうことを無視して評価しているのです。 無明の雲に覆われて、命も濁っているのが末法の衆生だといわれています。 創価の会員は宿業に今世で苦しみ、道心から、発心して信心を始めた人も多いのです。 その宿業を、信心で転重軽受して転換する作業をしているのです。 信じれば何もかもチャラにしたいでしょうが、そんなことはできないのです。 それが生命の実態なのです。 そのために、病気や貧乏と向き合い、御本尊に唱題し、仏法対話をして、仏の生命を湧現させながら、その生命力と智慧と努力で、諸天善神の加護を呼び起こし、福運をつけて一つ一つ宿業を消していっているのです。 あるいはバランスシートを書き換えているのです。 その時点を見たときは不幸にみえても、そうではないのです。 その証拠に、まじめに着実に信心を実践している人は、みごとに苦難を乗り越え、人生の勝利を修めているのです。 それは仏法の永遠の生命の原理から見れば当然の歩みなのです。 同じ学生で、司法試験に合格するために、血の滲むような苦労をしている人を見て、苦しんで哀れなやつだと笑って、遊びふける人は愚かだと思うでしょ? 仏法は道理なのです。

それでも、信心してない方から見れば、まじめに信心していても、事故で死んだり、難病で死ぬ子供がいたり、地獄の苦しみを受けていると言いたいでしょう。 それについては、これからのブログ記事で体験談を紹介しながら触れていきますので、今後も引き続きこのブログを見ていてください。 (^^
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