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2015-08-10(Mon)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 三三蔵祈雨事(1468P) 
『 道理証文よりも現証にはすぎず 』

【 通解 】 
『 道理や証文よりも現証が第一である 』

【 指導 】
* 仏法では道理(理証)と証文(文証)が大切である。 そのうえで、仏法も人生も、大切なのは「 事実 」である。 現実の「 証拠 」である。

どんなに立派なことを言っても。 またすばらしい話を聞いたとしても、自分自身が現実に「 満足 」と「 勝利 」の実証を示さねば、意味がない。 観念論、抽象論になってしまう。 それでは、仏法ではない。 実像の人生でもない。
ご家庭でも、ご主人が「 明日は一緒に勤行するよ 」と口先ばかりで約束しても、空手形では、文証があって現証がないようなものである。 だから奥さんに叱られる。 やはり、「 結果 」が大事である。 所詮、人生も、生活も、どういう結果であったかが、現実の幸・不幸を決めていくからだ。 身近な日々の暮らしから、一生、また三世の幸福にいたるまで、すばらしい「 結果 」を残せる自分自身でありたい。 そのための根本の「 原因 」を作るのが信心であり、仏道修行なのである。
ゆえに、だれ人が、どんなに「 自分は偉い 」と威張ってみても、現実に一人の人に信心を教え、面倒をみ、幸福にしていった「 実証 」にはかなわない。 ” 高位の人 ”よりも” 弘教の人 ”が偉いのである。 仏法の眼から見れば、実社会のなかに、わが地域のなかに、正法流布を進めている皆さま方ほど尊い存在はない。 高貴なる” 仏の使い ”であり、何より御本仏のご賞賛は絶対と確信する。 また必ずや、三世十方の諸仏の讃嘆にもつつまれていくにちがいない。

< 御書とその心 >より


いくら、現証を実証を、といっても、力の無い誤った宗教・信仰では、それは叶わない。 また、あるのは不幸という現実であります。 過去の人類の歴史の悲惨さは、目を覆うばかりであり、不条理と憤りと悲嘆さに満ちています。 真実の宗教に向き合うとき、人の努力と思いは、幸福へ幸福へと実を結んでいくことはまちがいありません。 
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