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2011-08-18(Thu)
浄土三部経は、釈迦が衆生の機根に合わせて種々に説いた方便の教えの一つです。 法華経を説けない、そして説かないときの教えですから、阿弥陀如来が仏となって法を説いている世界を示し、その仏の国はすばらしい世界だと賛嘆し、そのような世界に行くには、一心に阿弥陀如来を想いなさいとしか説ないのです。 当時は釈迦を仏と見ていない人も大勢いたでしょうし、いても初成道の若仏との認識しかなかったのですから、このような説きかたもしたのでしょう。 法華経寿量品の「一心欲見仏 不自惜身命」が本懐の心なのです。 釈迦は法華経にきて初めて久遠実成を説いて、この世で仏になったのではなく、遠い昔から仏であって、無量無辺の国土で衆生を教化し、成道に導いてきたことを明かします。 そして阿弥陀如来が説いてる法とは釈迦が説く法華経のことなのだと明かします。 さらに、この世界の衆生は尽く我が子なのだと宣言するのです。 しかし、法華経不信に落ちた念仏宗の人師・論師は、他土の仏を敬い、説いた釈迦を蔑ろにして、法華経をはじめとして三部経以外の総てを誹謗します。 これは自分の親を殺して、他人の子になろうとするもので、五逆罪免れがたく、これもまた弥陀の誓願叶い難しとなるのです。 念仏の迷宮には出口がないのです。
 
釈迦は方便権教であっても上手に仕組みながら説いていたのでしょう。 どれも釈迦が説いてるのですから当然といえば当然です。 「 四十余年未顕真実 」 なのですから、法華経を説いて初めて、方便権経の真の意味が解り、完結するようになっていると言えます。 ちょうど、相対性理論あるいは量子理論を知っていて、限定的な法則である古典物理学を、初門の生徒に教えるようなものだったのではないでしょうか。 
それは、法華経にも言えることで、日蓮大聖人の仏法から見れば、釈迦が説いた法華経は理の法門であり。 御本仏である日蓮大聖人が、法華経の文の底に秘し沈められている成仏の本因本果を取り出だして、御本尊と題目と修行を事実の上に顕されて、事の法門を明らかにしたのです。 日蓮大聖人の仏法なくして、法華経の真の姿は見えてこず、完結しないと言えます。 法然・親鸞の教えを速やかに打ち捨て、本因の教主日蓮大聖人の仏法に、なかんずく、創価の信心に帰依することを強く勧めます。
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Category : 仏 教Comment : (4) |

No title * by 圓蔵
こんにちは。

>浄土三部経は、釈迦が衆生の機根に合わせて種々に説いた方便の教えの一つです。

これは明らかに、史実ではありませんよね。歴史上の人物、ゴータマ・ブッダは浄土三部経は説いていません。いえ、そもそも法華経を含む大乗経典は説いていません。

したがって、五時八教判に基づく教義を持って他宗を論難するのは日蓮の在世である鎌倉時代ならばともかくも現代では通用しません。

管理者様は、浄土系の檀信徒さんはみな無間地獄の苦しみを受けていると本気で思っているのですか? また、同様に死相も苦悶の表情だと本気でお考えなのでしょうか?

創価学会員の二世三世の世代で無間地獄のような生活をされている方もおられますよね。また毎年、日本では何人の方が亡くなられているのか、その中で浄土系や広く創価学会以外の檀信徒の方々の全員が死相が悪いと本気思っているのでしょうか?

冷静に考えてみれば容易に気づくと思うのですが。

No title * by 夕焼け
圓蔵さん こんばんは。 ご意見ありがとうございます。
大乗教非仏説の立場でおっしゃっているのはよく解りました。
わたしは、大乗教の総てを個別的にみれば疑われるものもあるようですが、総体的には釈迦が説いた教えを今に伝えているものだと思っています。 特に法華経の思想・哲学は秀逸なものであると認め、釈迦の本懐の教えであると思っています。
ところで、史実でないと断定しておられますが、歴史の研究で実証的あるいは考古学的手法はとても大事です。 それを否定するつもりはありませんし、今後の調査・研究を支持し期待もしています。 余談ですが創価には東洋哲学研究所という関連団体がありまして、リンクに載せてありますので一度ご覧ください。 世界中の仏教研究者が論文を寄せています。

いままで、歴史認識で覆ってないものがあるのでしょうか? 今時点で、考古学的に実証するものが見つかってないからといって、事実でないと言うのは、歴史の常識からいっても不思議な論理です。 遥か古代のことを云々する場合はとくにそうです。 1000年もたてば、圓蔵さんやわたしの存在すら事実でなくなるでしょう。 つづく

No title * by 夕焼け
大乗教非仏説は研究者の意図とはなれ、都合のいいように宗教界で使われています。 いま、研究者の間では懐疑的な説として扱われつつあります。 何故かというと、考古学的実証を厳密に進めていくと、大乗教だけでなく小乗教のなかでも疑わしいものが少なからず出てきてしまうからです。 いまの研究は、釈迦の行跡はもちろん、その思想体系の一貫性や、時代の背景から関連させてそれぞれの教えを、紐解いて紡いでいく研究に移行しています。 先にも言いましたが、実証的な手法を持ちながら今後の調査・研究を支持し期待します。

圓蔵さんのお立場とでは、これ以上議論しても意味がないと思われるのでやめましょう。 お互い、それぞれの立場で勉強してよい方向に向かうことを祈りましょう。 
わたしは少なくとも、他宗が大乗教を釈迦の説いた教えであるとしてそれぞれ依経としていて、法華経を誹謗しているから、釈迦の教説を挙げて間違いを訴えているのです。 他宗が誹謗しないなら問題にすることではないのです。

後の事柄は、ものすごく低劣な論議なので触れません。
圓蔵さん わたしのブログを最初から読んでいただけると幸いです。

No title * by 圓蔵
コメントへのお返事ありがとう御座いました。

>考古学的実証を厳密に進めていくと、大乗教だけでなく小乗教のなかでも疑わしいものが少なからず出てきてしまうからです。

ええ、その通りです。上座仏教が奉じるパーリ語聖典や漢訳阿含経のすべてがゴータマ・ブッダの言説ではありません。中には明らかに大乗仏教が興起した後に付加された内容も含まれていますから。

>特に法華経の思想・哲学は秀逸なものであると認め、釈迦の本懐の教えであると思っています。
法華経は、ゴータマ・ブッダの言説ではありませんが、だからといって法華経の思想を否定するつもりはありません。一切の衆生が等しくブッダになれる可能性があるという思想、恐らく法華経が成立した紀元後1、2世紀には仏教各派の閉鎖性、形骸化でゴータマ・ブッダの精神が失われつつあったのでしょう。そこに法華思想を奉じるグループが一石を投じたということでしょうか。

>後の事柄は、ものすごく低劣な論議なので触れません。

この低劣な論議(死相など)を大真面目に信じている活動家の創価学会員さんが実際におられます。もちろん管理者様が仏敵と思っている富士宮のお寺の檀信徒さんも同様ですが。あと、私も貴ブログを荒らすつもりはありませんのでこの辺で止めておきます。失礼いたしました。

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