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2015-07-20(Mon)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 日興遺誡置文(1618P) 
『 未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事。 』

【 通解 】 
『 いまだ広宣流布しない間は、身命を捨て自身の力の限り妙法を弘めるべきである。 』

【 指導 】
* 日亨上人は、この御文を「 重要永遠的の第一法則 」の一つであり、「 万代法則ともいうべき 」であるとされている。 つまり、このご遺誡は、二十六箇条のうちで最重要であり、中心となる鉄則である。 大聖人門下にとって永遠に貫きとおすべき根本の指針と仰せなのである。
「 広宣流布 」の実現こそ、根本の大事である。 ゆえに「 随力弘通の人 」こそ、もっとも御本仏が喜ばれ、たたえられる人である。 この根本をないがしろにするものは、日興上人の門下とはいえないとの戒めと拝される。 わが学会の歴史は、まさしく、この遺誡どおりの軌跡であった。 これが、私どもの最大の誇りである。

日興上人は、二十六箇条の「 遺誡 」について「 此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有る可からず 」と厳格に断言されている。

< 御書とその心 >より


日亨上人は、若きころに九州で折伏を一生懸命されていた。 そのときの経験から” きっと折伏の役に立つ ”と思われて、生涯をかけた富士宗学全集に取組まれたそうであります。 当時の宗門にあって、僧侶は折伏などしなくてもよい、という風潮の中「 大事なのは、人々を折伏して、信者に育てることである。 失敗してもいいから、どうしたら新しい信者ができるか、折伏の辛さ、厳しさを自分で学んでおくことだ。 折伏しない僧侶には、御書の解釈は出来ても、大聖人の本当の心は分からないよ。 」と語っておられたそうであります。 その上人にして、この一箇条の重みを痛感せられていたのでしょう。

折伏をするうえで「 随力弘通 」していくことが重要であります。 折伏には定型がなく、こうしなければ折伏とはいえないということはないということです。 心から染みでる信心の確信、喜びを携えて、相手を思って語っていくことが、相手の心に響いていくことは、昔も今も変わりがありません。 その信心の確信、喜びというのは、日々の唱題、折伏をする中から生まれてくるものです。 つまり因果俱時で、悩みながら、嫌な思いをしながらでも、ちょっとの勇気と一歩を踏み出す思い切りが、折伏には必要となってまいります。 こちらの力不足や宿業で、そのときには、相手の心に響びかなくても、生命の奥底では仏の種が芽吹いていることだけはたしかであります。

『 末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり 』 とあるように、この一箇条のために、地涌の菩薩は生れてくるわけであります。 広宣流布のために生き抜いていくことは、本来の自分を見いだすことであり、何のために生まれてきたのか、その目的を自覚し、御本仏との約束を果たしてまいりましょう。
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