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2015-07-13(Mon)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 寂日房御書(902P) 
『 夫れ人身をうくる事はまれなるなり、已にまれなる人身をうけたり又あひがたきは仏法・是も又あへり、同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる結句題目の行者となれり、まことにまことに過去十万億の諸仏を供養する者なり。 』

【 通解 】 
『 およそ人身を受けることはまれである。 すでに、そのまれな人身を受けている。 また、あいがたきは仏法であるが、これにもまたあうことができた。 しかも、同じ仏法のなかでも、法華経の題目にあいたてまつり、結局、南無妙法蓮華経の題目の行者となった。まことに、まことに、あなたは過去世で十万億の諸仏を供養した方であろう。 』

【 指導 】
* 皆さま方は、日蓮大聖人の正法を実践しておられる。 どれほどの福徳と深き使命の方々であるか。 また大聖人は、いかばかり讃歎あそばされることであろうか。
皆さま方が、これ以上はないという最高の幸福を勝ち得ることは絶対にまちがいない。 もはや、一人ももれなく、三世永遠に崩れざる幸福の軌道に入っておられることを確信していただきたい。

< 御書とその心 >より


この仏法を持つことができる幸せは、計りしれないことなのです。 それなのに、くだらない利己主義に振り回されて、退転していく人の、なんとみすぼらしく、哀れな姿でありましょうか。 閻魔王の鏡にはきっとそのように映ることでしょう。 退転してから、さんざん創価の悪口を言うことは、負け犬の遠吠えと同じであり、みっともない限りであります。 最初は何事もないようであっても、かならず地獄のような生活と精神に苛まれるようになるでしょう。 還著於本人となって返ってゆきます。

戸田先生は、退転した人が、そのまま姿を消せばよいものを、こうなりましたと、わざわざみすぼらしい姿を見せに出てくる、というような話をされていました。 しっかり信心をした人と、そうでない人の差は歴然であります。 信心して、そのときにはわかりませんが、長い間にその差が出てきてしまいます。 また、長い間、信心してきたとしても、最後になって退転してしまっては、舎利弗が乞眼の婆羅門の責に耐えられず、長遠に重ねてきた努力を水の泡にしたことと同じであります。 千載一遇と言ってよい、この身の福運を大事にしなければいけません。

大事なことは、感謝の心で、報恩の心で、広宣流布のために信心を起こしていくことです。 それは、人としての道にも適うことであり、仏の道でもあります。


※ 2015/07/13改訂
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