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2015-05-28(Thu)
真言密教では、印と真言を専売特許かのように強調して、印と真言が法華経には無いから、理のうえでは同じだが、印と真言のある大日経が事相の上で勝れていると、釈迦の説いた法華経を侮っていますが、理のうえでも根拠となる明文はないうえに、法華経も含め大乗経典のインド原典には印と真言がある事を隠しています。 御書には『 所詮真言を密と云うは是の密は隠密の密なるか微密の密なるか、物を秘するに二種有り一には金銀等を蔵に篭むるは微密なり、二には疵・片輪等を隠すは隠密なり、 』とあるように、真言密教の密は、都合の悪いことを覆い隠す隠密のことであります。

真言というのは、真言密教では梵語で漫祖羅(マントラ)と言っていましたが、仏教では陀羅尼(ダラー二)と言って、十方諸仏の教えを暗唱する章句を指します。 そもそも、漫祖羅というのは古代インドのヴェーダにみられる讃歌、祭詞、呪文のことで、神呪ともいいます。 陀羅尼というのは総持と訳し、仏の教えを深く心に記憶して忘れず、悪を遮って生じさせないという意味を持っているのです。 釈迦はバラモンの祭式や呪術信仰を否定していますから、漫祖羅と陀羅尼は同じ梵語の章句で似てはいますが、本質は違うものなのです。 最近では、この辺の違いが忘れられていますが、真言密教が仏教に擬態した加持祈祷を主にする外道であることを隠すために、さらに仏教で包み込んで真言陀羅尼と言うようになったためであります。

法華経は、インドから中国に伝わるときに印や真言が省かれたといいます。 インド原典の法華経は膨大ななものだったといわれており、訳者の判断で多くが要約され略されてまとめられています。 その代表的なものが「 正法華経 」「 妙法蓮華経 」「 添品妙法蓮華経 」などであり、印や真言は重要なものではないとの判断からか省かれています。 なかには「 法華儀軌 」のように印や真言を付けているものもあります。
私見になりますが、釈迦が説いた教えは数百年という長い間、記憶によって伝承されてきましたが、それと真言は無関係ではなかったと思います。 記憶するため、また、覚えやすいように偈として切り分けられ、陀羅尼として多数の僧によって繰り返し唱えられていたのではないでしょうか。 経典として文章化されるときには、 ” 如是我聞 ”という精神から、その陀羅尼をそのまま書き遺し、さらに一貫した思想として解かるように順序立て、当時の様子を伝えながら編集されたのではないでしょうか。 印や真言の部分は、今でいう資料・参照・付録のようなものだったのかもしれません。

はたして、法華経の真言はどのようなものだったのか、興味深いものが御書にあります。

開目抄に『 妙法蓮華経と申すは漢語なり、月支には薩達磨分陀利伽蘇多攬と申す、善無畏三蔵の法華経の肝心真言に云く「 曩謨三曼陀没駄南帰命普仏陀三身如来阿阿暗悪開示悟入薩縛勃陀一切仏枳攘娑乞蒭毘耶〓〓曩三娑縛如虚空性羅乞叉〓離塵相也薩哩達磨正法浮陀哩迦白蓮華蘇駄覧歓喜縛曰羅堅固羅乞叉〓擁護空無相無願娑婆訶決定成就 」此の真言は南天竺の鉄塔の中の法華経の肝心の真言なり、此の真言の中に薩哩達磨と申すは正法なり薩と申すは正なり正は妙なり妙は正なり正法華・妙法華是なり、又妙法蓮華経の上に南無の二字ををけり南無妙法蓮華経これなり、 』とあります。 つまり、龍樹が南インドの鉄塔で発見した、多数の経典の中にあった法華経の肝心となる真言というのは、南無妙法蓮華経のことなのだと、大聖人は仰っています。


関 連 → 善無畏三蔵の悔悟
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