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2015-05-25(Mon)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 上野殿御返事(P1561) 
『 願くは我が弟子等・大願ををこせ、去年去去年のやくびやうに死にし人人の・かずにも入らず、又当時・蒙古のせめに・まぬかるべしともみへず、とにかくに死は一定なり、其の時のなげきは・たうじのごとし、をなじくは・かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ 』

【 通解 】 
『 願わくは、わが弟子たちよ、大願を起こしなさい。 去年および一昨年と、流行した疫病で死んでいった人々の数には入りませんでした。 しかしまた、あのように蒙古の攻めがあれば、助かるとも思えません。 ともかくも、死は定まっているのである。 そのときの嘆きは、現在の苦しみと同じである。 同じことならば、かりにも法華経のために命を捨てなさい。 それは、あたかも露を大海に入れ、塵を大地に埋めるようなものであると思いなさい。 』

【 指導 】
* 日蓮大聖人は、この南条時光の勇敢な行動( 熱原の法難の際、迫害された同志を自分の屋敷にかくまうなど、わが身を危険にさらして尊い仏子を守ろうとした )を、最大に讃歎された。 時光が数えで21歳の時に与えられたお手紙で、このように激励されていた。

殉教者まで出した熱原の法難である。 時光の受けた圧迫も筆舌に尽くせぬものであったろう。 しかし、大聖人は、法難の苦しみも死ぬ時の嘆きも、苦しいことは同じであり、ならば、広布の道を貫いて大境涯を得なさい、と教えられている。
人間にとって、死がどれほどの苦痛であることか。 いかに金持ちでも、地位や権力があっても、死を前にしては夢のように空しい。 幻のように、はかない。 皆、これがわからない。 それを、広布のために苦労することによって、自身の宿業を転換し、最高に安楽な「 死 」即「 次の人生への出発 」 を迎えられるのが、この仏法である。
その実証を、私たちは先輩や同志の姿に多く見てきた。 この一点だけでも、正法の功徳は偉大である。 ゆえに、この正法を教えてくれた学会の恩に、どれだけ感謝してもしきれない。

< 御書とその心 >より


同じように、御書には『 誠に我が身貧にして布施すべき宝なくば我が身命を捨て仏法を得べき便あらば身命を捨てて仏法を学すべし。 とても此の身は徒に山野の土と成るべし・惜みても何かせん惜むとも惜みとぐべからず・人久しといえども百年には過ず・其の間の事は但一睡の夢ぞかし、 』とあります。 人は生死を重ね、須弥山のように骨を積んできて、世間一般のことで命を落とすことはあっても、仏法のために身命を賭すことは稀であります。 いま、この仏法に巡り合い、師弟をともにし、広宣流布に迎い遭えることは、千載一遇のことであります。 この時を逃しては、いつ宿命転換し、いつ成仏を成し遂げようというのでありましょうか。  『 勧持品に云く不軽品に云く、命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也云云 』との、大聖人のお言葉を、深く胸奥に刻んでまいりましょう。

池田先生のお言葉に「 広布のために苦労すること 」とありますが、このことを知らない人が多い。 信心では、このことが重要なのであります。 それを嫌がって、創価を批判し、愚痴を言い、退転していく人の、なんと愚かなことか。 求道心のない信心では、真の功徳を知ることはないでしょう。
折伏で苦労し、唱題で苦労し、御書で苦労し、励ましで苦労し、活動で苦労してゆくことが大事なのです。 そうすれば、宿業を転換するだけでなく、福運を積み、境涯を開いていくことができます。 やがて、苦労だったものが、喜び、楽しみへと変じ、衆生所遊楽の悠々たる境涯を感じられるようになるでしょう。
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Category : 御 書Comment : (2) |

承認待ちコメント * by -

* by 夕焼け
No.386さん、こんばんわ。

了解です。 (^^

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