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2015-05-04(Mon)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 最蓮房御返事(P1342) 
『 貴辺に去る二月の比より大事の法門を教へ奉りぬ、結句は卯月八日・夜半・寅の時に妙法の本円戒を以て受職潅頂せしめ奉る者なり、 』

【 通解 】 
『 あなたに、去る二月のころから大事な法門をお教えした。 そのうえ、四月八日の夜半、寅の時に妙法の本円戒をもって、受職灌頂してさしあげたのである。 』

【 指導 】
* 日蓮大聖人の御書には、「 授戒 」「 受戒 」― 戒を授ける、戒を受ける ―という言葉は用いられているが、すべて、仏教史上の過去の例をあげられたものである。 大聖人ご自身が「 授戒 」されたという記述はない。 ただ「 最蓮房御返事 」に、最蓮房に対して「 授戒 」されたことを述べられている。 「 妙法の本円戒 」とは、本門の円頓戒のことで、妙法(御本尊)を持つことをいう。 「 受職潅頂 」とは、菩薩が妙覚の仏になろうとする時に、仏がその菩薩の頂(頭)に智慧の水を注ぐことをいったが、ここでは大聖人が、最蓮房に妙法蓮華経の五字を授けたことをさしていると拝される。
 最蓮房は、天台宗の僧として比叡山で法華経迹門の戒を受けていたと考えられ、独一本門の戒を大聖人から受け直したものであろう。 つまり、これは出家に対する受戒であった。 最蓮房自身が強く望んだものではないか、とも思われる。
 つまり、大聖人の在世においては、出家の弟子に対してさえ、授戒されたという記録は、最蓮房以外には残っていないのである。 まして、在家の信徒が授戒を受けたという記録は、まったくない。 当時の慣習のうえからも、信徒への授戒はなかったと考えられている。

< 御書とその心 >より

本門の戒壇というのは受戒する場所ではありません。 このことが真に理解できれば、本門の戒壇の意味がおのずと判ってきます。 創価の広宣流布大誓堂というのは、この本門の戒壇の意義をもつ世界で唯一の根本道場と言ってさしつかえありません。 広宣流布の暁には、この誓堂に込められた想いを手本として本門の戒壇が建立されることはまちがいありません。

御書に『 我等一戒をも受けざるが持戒の者と云わるる文・経に云く「 是則ち勇猛なり是則ち精進なり是を戒を持ち頭陀を行ずる者と名く 」文。 』 とあるように、妙法の” 戒 ”は” 金剛宝器戒 ”といって、御本尊を抱きしめながら、題目をあげ抜いて、広宣流布という誓願に勇猛にして精進していくことしかありません。
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