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2015-04-02(Thu)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 主師親御書 (P386) 
『 或時は人に生れて諸の国王・大臣・公卿・殿上人等の身と成つて是れ程のたのしみなしと思ひ少きを得て足りぬと思ひ悦びあへり、是を仏は夢の中のさかへ・まぼろしの・たのしみなり唯法華経を持ち奉り速に仏になるべしと説き給へり、、 』

【 通解 】 
『 ある時は人間として生まれて、諸々の国王、大臣、貴族や、宮廷での昇殿を許される高い身分などになって、「 これほどの楽しみはない 」と思い、わずかなものを得て「 満足した 」と思い、喜び合っている。 このことを仏は「 夢の中の栄え、幻の楽しみである。 ただ法華経を持ちたてまつり、すみやかに仏になりなさい 」と説いておられる、 』

【 指導 】
* 仏法から見れば、ある時は” 動物 ”に生まれ、ある時は” 木 ”に生まれるかもしれない。 せっかく人間に生まれたのに、世間的な楽しみに溺れるのは愚かである。 その楽しみは幻にすぎない。 広宣流布のために働いている人は、そのための苦しみも、世間の楽しみの、何千倍もの楽しみに変わっていく。 永遠性の喜びにつながっていく。
ただ法華経を持つ ― 妙法を信じ唱えることである。 その人は、正しい社会観、生命観、宇宙観をもった、尊極の生命の当体になる。 本当の幸福、本当の仏の境涯を、つかんでいけるのである。

< 御書とその心 >より


日ごろ「 死 」という問題を考える人は非常に少ない。 病気になったり、年老いてから、はじめて真剣に「 死 」というものを考え始めることが多い。

以前、NHKの報道特集で、臨死体験を扱った番組が放映されました。 立花隆さんがレポーターとなり、世界各地の臨死体験者の話や脳神経科学の最先端情報などを紹介しておりましたが、立花さんは、奥様を癌で亡くされ、自身も癌に侵されて、死を現実のものとして感じられるようになり、はたして死んで自分というものはいったいどうなってしまうのか、自分という己の心というものはどこにいってしまうのだろうか、と深く考えざる負えなくなってきたと話しておりました。 
このような、疑問と探求は哲学的な希求からというよりは、死というもので自分の人生や大切と思っていた人の価値が意味のないものになってしまう、という喪失感からくるものだと思います。

この「 死 」というものは人間だれしも避けることはできません。 仏であってもそうであります。 生きてきた楽しみ、財産、名誉、社会的地位、交友関係、家族、総てと別れなければなりません。 死んで持っていくことはできないのです。 三世の生命観を信じない人でも、その永遠性に執着する姿はなぜでしょう、哀れというしかありません。
死んで持ってゆくことができるのは「 業 」であり、「 境涯 」であり、「 福運 」であります。 このことを考えて、行動してしていくことが生きていく意味であり、大事なことなのです。
仏法では永遠の生命を説いておりますが、死は一定であり、生命の理(ことわり)であり、三世の生命観にたって本当の幸福とは何なのかを説いております。 この永遠の生命観に立って生きていかなければ、人類の幸福、戦争のない世界というものを掴むことはできないでしょう。

日蓮大聖人の仏法、信仰というものは、そのために必要なものであり、自他共の本当の幸福を築いていくために、広宣流布という人生が不可欠となってきます。 日蓮大聖人(御本仏)はその舞台、その世界を用意してくださり、その中で、わたし(日蓮大聖人)のように生きていきなさいと示されているのです。 
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