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2015-03-20(Fri)
今日は、地下鉄サリン事件から20年であります。
今でも、後遺症に苦しむ人がいることに、その凶行のむごたらしさを知る思いでいます。

世間では、宗教の恐ろしさを強調していますが、わたしたちは、間違った宗教の恐ろしさを、何度も、何度も、訴えてきました。 人間の不幸の原因は誤った思想・宗教にあり、宗教に無知であればあるほど、その危険にさらされるという警鐘を、改めて鳴らしたいと思います。 

話しは変わりますが、
この日の事件の夜に、那須の叔母から、突然電話がありました。

叔母は、長崎で被爆をして以来、戦後まもなく修道女となって、那須の修道院で暮らしていました。 叔母が修道院から出たのは、1度きりで、外部との接触は親兄弟親族ぐらいで、隔絶された世界で生きてきました。 そのころ、わたしたち家族は、年に1度、たいがい夏に修道院を訪れて、面会し食事をすることが許されていました。 また、手紙のやりとりも年に数回許されていました。 しかし、電話がかかってきたのはこのときが初めてで、こっちがびっくりし、叔母になにかあったのかと一瞬心配したほどでした。
叔母は、神父から事件のことを知らされ、「 霞が関 」「 丸ノ内線 」 という言葉を耳にして、わたしが通勤に使っていたことを覚えていたらしく、わたしのことが心配になり、特別に許可をもらってかけてきたのでした。 叔母は、姉(母)が死んでから、わたしたち家族を気にかけていて、会いに行くたびに、修道女になっていなければ、あなたたちの傍にいてあげられるのに、と話していましたから、ニュースを耳にして、いてもたってもいられなかったようです。 電話で話す声は、直に聞いていた声とちがうため、最初はとまどいましたが、そのうち、叔母だとわかってからは、その日は直接打ち合わせ場所に行ったこと、地下鉄を使った時間がずれていたこと、などを説明し、無事であることや、家族も元気でいることなどをしばらく話していました。 その電話で、叔母はほっとしたようで、「 神に守られましたね、感謝します、感謝します 」と何度も言い、そのときの叔母の優しい声を今でも思い出します。

わたしは、その晩、諸天(神)に感謝の題目を送りました。

この事件のあった日は、亡くなった叔母の事を思い出します。


関 連 → 恨みを持ち続けながら生きていくことは不幸だ
    → No More Nagasaki
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