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2015-03-17(Tue)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 千日尼御前御返事 (P1316) 
『 佐渡の国より此の国までは山海を隔てて千里に及び候に女人の御身として法華経を志しましますによりて年年に夫を御使として御訪いあり定めて法華経釈迦多宝十方の諸仏・其の御心をしろしめすらん、譬えば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮び雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞ゆ、御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり、仏に成る道も此くの如し、 』

【 通解 】 
『 佐渡の国から、この国までは、山や海を隔てて千里にも及ぶのに、女性の御身として、法華経を信仰していらっしゃるゆえに、年々に夫を使いとしてお訪ねくださっている。 必ずや、法華経・釈迦・多宝・十法の諸仏が、あなたのお心を、よくご存じのことであろう。 たとえば、天の月は四万由旬も離れているが、その影を大地の池に即座に浮かべる。 また、中国の雷門にあった太鼓は、千万里の遠くにあっても、打てば即座に聞こえたという。 それと同じように、あなたは佐渡の国にいらっしゃるけれども、心はこの国に来ておられる。 仏になる道も、このようなものである。 』

【 指導 】
* 日蓮大聖人ご在世当時、佐渡の阿仏房は、高齢にもかかわらず、身延の大聖人のもとへ、三度も訪れた。 が、夫人の千日尼は、佐渡の地にあって、夫の留守を守った。 彼女自身、どれほど大聖人をお慕いし、お目通りを願っていたことか ― 。 そうした心を、大聖人は、すべて御存じであられたにちがいない。

大聖人は、たとえ「 身 」は遠くにあろうと、その「 志 」は身延の大聖人にまでたしかに通じていると仰せになり、求道の「 心 」強き千日尼が、成仏という無上の幸福道を歩みゆくことはまちがいないと励まされている。 妙法流布への純真な「 志 」が厚ければ、いずこの地にあっても、また、いかなる陰の立場にあろうと、御本仏はすべてご照覧なのである。

< 御書とその心 >より


大聖人のこの心に、わたしは涙を禁じえません。 このお手紙を拝した千日尼は、厳寒の中で、春のような温かさを心に浮かべ、きっと、涙が溢れてくるのを抑えることができなかったにちがいありません。

この御文を拝してみても、邪宗門の輩の心が、大聖人のお心とは、まったく正反対だということがわかります。

この御文の後に、『 我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ、 』とあり、また、法華経寿量品自我偈には「 一心欲見仏 不自惜身命 時我及衆僧 倶出霊鷲山 」とあります。
大聖人の心の灯(ともしび)を、わたしたちの心に灯(とも)し、それを、どこまでも燃やしつづけ、御遺命のままに生きてゆくならば、御本仏はそこに居られ、わたしたちと共にある、ということです。
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