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2015-03-10(Tue)
御義口伝の「 第六此人不久当詣道場の事 」には、次のようにあります。

『 此の品の時最上第一の相伝あり、釈尊八箇年の法華経を八字に留めて末代の衆生に譲り給うなり八字とは当起遠迎当如敬仏の文なり、此の文までにて経は終るなり当の字は未来なり当起遠迎とは必ず仏の如くに法華経の行者を敬う可しと云う経文なり、 』

わたしたち創価の同志は、お互いにこのような気持ちで遇することが、最も大事であります。 創価の組織では、役職や世間的地位や男女に関係なくそうであってほしいものであります。 法華経の宝塔品には、多宝如来が半座を分けて釈迦仏を迎え入れ、二仏並座する様子が説かれていますが、このように互いに尊敬し、大事にしあっていく姿が創価の姿なのです。 広宣流布大誓堂にある八本の柱も、その意義を込めて八本となっています。

そうはいっても、組織には、様々な人間がいますから、表向きにはそのように振舞っても、心の中までそのようにはいかないかもしれません。 しかし、それが末法の修行であり、境涯を高めていくために必要な、心のせめぎ合いとなるのであります。 不軽菩薩は、相手が法華経の行者でなくとも、このように修行して、自らの心に勝ち、仏と成ったのであります。
仏法対話をして相手から悪口をさんざん言われ、それによって、過去の罪業を消すことができるといわれますが、それは、創価という組織内においても同じ原理で、人間関係のなかに自らの宿業が出てきます。 そして、それを解決するのは、やはり信心であります。 信心しかありません。 信心でそれを乗り越えていかないと人間革命はできません。 境涯は変わってゆきません。

世間だろうと、創価という世界であろうと、どこにいても、この原理は不変です。

わたしは、いままで、たくさんの創価の先輩、隣近所の創価のおばさん・おじさんに、親でもしないような面倒をみてきてもらいました。 信心を学ばせていただきました。 皆、いい人ばかりです。 感謝の念を禁じえません。 創価という世界は、同志の絆というものは、砂漠の中にあるオアシスのようなものです。 このような世界を、世界中に創り上げていくのが、わたしたちの使命であり、変わらぬ運動ではないでしょうか。
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Category : 創 価Comment : (4) |

* by 王者の剣
はじめまして。
王者の剣と申します。
いつもいい記事をありがとうございます。

「当起遠迎当如敬仏」私も大事にしている言葉です。
地区という場所、地域という場所こそが自分を映し出す鏡ですね。
まさに浄玻璃の鏡ですね。

そこで輝き、信頼を得ることが、境涯革命であり、広宣流布だと思います。

その人のことは、その地区に行って聞いてみればすぐにわかります。ネットでは曖昧にできても、地域では嘘は通用しません。そこに責任と本当の戦いがあると思います。

仏法のことをよく御存じの方からお話を聞くことは楽しいことです。これからも楽しみに拝見させていただきます。

私も陽水や拓郎世代です。今も彼らの歌は色あせませんね。私は「紙飛行機」が好きです。

* by 夕焼け.
王者の剣さん、ようこそ。

「 浄玻璃の鏡 」たしかにそのようにも言えますね。 仰るとおりです。

身近なところでの、人間関係に勝利することが、大事ですよね。 家庭、職場、地域に、妙法の華を咲かせていくことができる人こそ、本物だと思います。

これからも、お越しください。

「 紙飛行機 」ですか、ロックですね。(^^

管理人のみ閲覧できます * by -

* by 夕焼け.
No.375さん、こんばんわ。

ようこそ。(^^

このブログを始めて、そろそろ4年が経とうとしています。
色々と書いてきましたが、そこに流れる想いというのは、永遠の生命観にたって人生というものを考え、いかに生きていくべきなのか、知ってほしいということにあります。 時間は掛かりますが、少しずつ過去の記事も読んでみてください。

それはそれとして、わたしもそのような思いを経験していますから、よくわかります。 それは、信心をしていくうちに、必ず克服できます。 そのような痛みを受けることで、過去の悪業を消しているのですから、大丈夫ですよ。 ”よし、これで一つ消えた”と思って、御本尊に感謝の題目をあげていってください。 そして、そのような状況から逃げることなく、化他の信心を続けていくことが大事です。 落ち込むこともあるでしょうが、そのたびに、題目をあげていけば、知らぬ間に、その人を大きく包み込むことができるような境涯になっているでしょう。 そして、そんなことが気にならないようになります。 かえって、人の心の微妙な動きに気遣うことのできる人になっているでしょう。 信心をして、そのような人材になるために、そのような気質をもって生まれてきたのです。

物事にはなんでも理由があります。 いまは、落ちこんでもいいんです。 その悪業が切れれば、自然と落ちこまなくなります。 わたしは、そうでした。

境涯革命(成仏)するための信心ですから、手ごたえのある人生のほうが、いいんです。 なにごともなく、のほほんとした人生では、本当の喜び、幸福というものを味わうことはできません。

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