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2015-02-05(Thu)
第二代会長の戸田先生は、ある講演で「 初めに信仰したときには、初信の功徳といって、思いがけない大利益を得ている。 ところが、一年でも、三年でも、強盛に信仰をつづけていけば、壁につきあたったような感じで、身動きのとれなくなるときがある。 幸福になるために信仰したはずなのに、どうして、こんな罰ばかりだろうといって、かえって仏を怨むこともある。 」と話されたことがあります。

信心している人で、
このような思いをした人は、必ず居るはずです。

このようなことは、三世の生命観から考えるとはっきりと見えてきます。 わたしたちは過去遠々劫から何度も生まれてきては死んでいます。 この間に、良いこともしてきているでしょうが、どれだけ悪いことをしてきたか、はかり知れないものがあります。 今世を振り返ってみれば、おのずと判ってまいります。 本来ならばその業を、長遠な時間をかけて、一つ一つ消してゆくところなのですが、縁あって入信し、信心を強盛にしたことによって、過去遠々劫の悪業を今生で受けるのです。 しかし、それに負けないで、さらに強く信心を起こし、懸命に行じてゆくならば、それを消してしまうことができます。 そして最後に、一生成仏という最高の境涯を幸福を掴むことができるのです。

過去遠々劫の業報を受けると言っても、まともにいっぺんに受けていては堪りません。 信心で多くは受けずに消すことができますが、しかし、それでも受けなければならない業報もあります。 また、境涯を高めていくための試練となって顕れることも必要です。 しかし、信心をしていると、その護法の功徳力によって業報を軽く受けていくのです。
難を呼び起こす信心というのはこのことであり、嘆くよりも、” いよいよ ”と強く信心を起こしていくべきであります。 難は境涯を高めるシグナルであり、成仏のチャンスなのです。 

参考のためにどんな業報があるか記しておきましょう。

人の悪業には殺生・偸盗・邪淫・妄語・綺語・悪口・両舌・貪欲・瞋恚・愚痴(邪見)と十悪があり、まえの三つが” 身 ”の悪、次の四つが” 口 ”の悪、最後の三つが” 意 ”の悪で、華厳経には、この十悪の度合いにより、地獄・畜生・餓鬼の順に生じると説かれています。 そして、人に生まれた場合には、次のような報いを受けるとされています。

殺生は多病あるいは短命、
偸盗は失財あるいは貧窮、
邪淫は婦が貞実でない、あるいは眷属不良、
妄語は身に誹謗多い、あるいは人に誑惑される、
綺語は眷属に離反される、あるいは弊悪な眷属を得る、
悪口は悪声を聞くこと多い、あるいは訴訟を受ける、
両舌は信を得られない、あるいは言語が明瞭でない、
貧欲は多欲で飽ことがない、
瞋恚はすきをうかがわれる、あるいは殺される、
愚痴は邪見の家に生まれ心諂曲となる、

この他に、五逆罪や法華経誹謗の業報もありますが、いずれにせよ因果の理法は避けられず。 本因妙の仏法、なかんずく広宣流布の修行(仏の道)でなければ、転換することはできません。
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