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2015-01-06(Tue)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 新池御書 (P1443) 
『 南無妙法蓮華経と他事なく唱へ申して候へば天然と三十二相八十種好を備うるなり、如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり 』

【 通解 】 
『 南無妙法蓮華経と、他の事にとらわれることなく唱える人は、自然に三十二相・八十種好が備わり、法華経に「 我が如く等しくして異なること無からしめん 」と説かれるように、釈尊のような仏に、やすやすとなる 』

【 指導 】
* 法華経の従地涌出品には、地涌の菩薩に、仏と同じく「 三十二相 」ありと説かれる。 「 是の諸々の菩薩は、身は皆な金色にして三十二相・無量の光明あり 」と。 この経文には甚深の意義があると拝される。

いくら信心し、仏道修行しても、とうてい仏にはなれない、などと言う者があったとしたら、大聖人の門下ではないという文証である。 また、それは道理にも反する。 一切衆生を成仏させるために御本仏がご出現になり、あれほどの大難を忍んで御本尊を建立してくださったのである。 御本尊を拝して成仏できないとなったら、大聖人の法戦が無意味とさえなろう。 断じてそんなことはないはずである。

< 御書とその心 >より


仏という仏は皆、一切衆生を仏にするために出現されるのであります。 仏の誓願は「 如我等無異 」それ以外にはありません。 そうであるならば、わたしたちは仏になるために生まれてきているのではないでしょうか。
御本仏である日蓮大聖人は、そのために御本尊を遺してくださり、仏道修行として広宣流布という法戦を教えてくださっています。 あとは、わたしたちが、そのことを信じ、地涌の菩薩としての使命に目覚め、御本尊に唱題し抜いて、仏の道を歩んでゆけるどうかにかかっております。
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