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2014-12-25(Thu)
今日はクリスマス、キリストの降誕祭。
とはいっても、この日に誕生したわけではなく、聖夜の当時を偲びながら、神に感謝を捧げようという日であります。

そこで、今日は神について、少し考えてみたいと思います。

神という概念は、おおざっぱに分けて二つあるようです。
一つは、宇宙の働きに潜むものとしての神、そしてもう一つは、宇宙を主(つかさどる)ものとしての神であります。 前者は多様な神を生みだし、後者は唯一絶対の神を生んでおります。 同じ神と呼ばれていても、おおきな違いがあり、原始や文明の萌芽期には前者が主流となり、文明の黎明期や発展期には後者が主流となってきました。

キリスト教の神というと、それは天地創造の神のことであり、宇宙だけでなく、人間を始め、ありとあらゆる生きものを作った全知全能の神のことであります。 その神は目で見ることはできませんが、預言者によりその意思が伝えられ、意思を持つ人格神として捉えられております。 神は唯一絶対であるがゆえに、その預言者も絶対の存在となり、権威化されやすい性質を持っておりますが、兄弟の宗教といわれるイスラム教にもっとも顕著にあらわれています。 新約聖書にあるイエス(神の子)の言葉には、旧約聖書にはない、信仰者に寄り添う神の意思(福音)を感じますが、キリスト教の歴史ははたしてイエスが望んだようなものになったのでしょうか。

仏教では、神をどう捉えているかと言えば、先に挙げた前者の神になります。 ただ、宇宙の法に当てはめ位置づけた神々であり、神ではあっても、けっして信仰の対象とはいたしません。 色界の主であり宇宙の創造神である梵天は、仏法の守護者として語られています。 やはり、神は見えない存在でありますが、預言者を必要とはしていません。
最近では、日顕宗にみられるように御本仏を絶対神のように扱い、貫主を預言者や聖霊にあてはめて、信徒を従わせようとする動きもありますが、それは仏教をカトリック化するような企みであり、けっして許されることではありません。

神は宇宙の法の守護者であり、宇宙の森羅万象の匠であります。
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