--------(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Category : スポンサー広告 Comment : (-) |
2014-02-02(Sun)
路 


この信心をすると、初信の功徳というものがあります。
その内容は、人様々であり、それぞれの人に、必ず驚きと喜びを実感させてくれます。

わたしの場合は、ちっちゃな箱にギュギュに詰め込まれ、にっちもさっちもいかない, 息もできないような苦しみに、苦しみ抜いていた心と体が、信心を始めてから、次第にエネルギーに満ち溢れてゆき、漆黒の闇に光がさし、やがて温かさと彩りが、心と、そして体全体を包んでゆきました。 そして、今までの生活を一変させていく、自分自身を見いだすことができるようになったのです。

それは、実に新鮮な体験で、いまだに忘れることはありません。
初信の功徳というのは、やがてやってくる宿業との戦いや、境涯を高めるため、魔と対峙したときに、この信心によって勝利することができる、というサインなのであります。

このような初信の功徳があるように、この信心をすると、こんどは必ず「 難 」がやってきます。
日蓮大聖人はこのことについて、法華経見宝塔品にある「 此経難持 」をとりあげられて、『 此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり 』と仰っておられます。 そして、『 「 則為疾得 無上仏道 」疑いなし 』とも約束しておられます。 「 難 」がなければ、本物の信仰を鍛え上げていくことはできない、ということであり、仏になるために、越えなければならな棘の峰が必ずあるのです。 このとき、御本尊を抱きしめながら、唱題し、現実に立ち向かっていくことが、とても大事になってきます。 「 もうだめだ 」と思うか「 いよいよこれからだ 」と立ち向かうのか、 「 負けじ魂 」こそ、創価の精神なのであります。

SGI池田会長は、次のように語っておられます。


* 「 信心を貫き通す 」「 持(たも)ち続ける 」には、不断の精神闘争が必要です。 ただ漫然と信仰するだけでは、押し寄せる大難の前に破れてしまいかねない。
「 三障四魔 」が競い起こった時に、それに立ち向かうか破れてしまうか、信仰への非難や迫害、そして、宿業など自身を取り巻く環境に敗北するのか、攻め返していけるのかは、一切、私たちの「 心 」で決まります。
障魔が問いかけるのは、実は、私たちの信仰の強さ、深さです。 常に自身の心を磨き、全部わが生命の変革から始まると決意して、勝利するまで戦う誓願を起こすのです。 それが「 信心 」にほかなりません。

< 大白蓮華2014年2月号 勝利の経典「 御書 」に学ぶ >より


愚痴をいい、批判がましく組織から離れていく人がいます。 そのような人には、苦労することを嫌がり、自身が抱える課題を避けて通ろうとしてしまう、生命の傾向が見られます。 どのような世界でも、自身の成長や実力を養うには、避けては通れない鍛えが、必ず待ち受けているものです。 仏という境涯を勝ち得る為には、なおさらそうであります。 挑戦するのか、逃げるのか、それで大きく違ってきます。 矛盾と葛藤を突き破り、こうと決めたことを、やり遂げていく「 信心 」が、苦難を前にしたときに、求められてくるのであります。
関連記事
Category : 信 心Comment : (0) |
コメント





 非公開:管理者にだけ表示を許可


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。