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2014-01-21(Tue)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 崇峻天皇御書(P1173) 
『 設い殿の罪ふかくして地獄に入り給はば日蓮を・いかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用ひまいらせ候べからず同じく地獄なるべし、 』

【 通解 】 
『 罪が深いために、あなたが地獄に入られたなら、たとえ釈迦仏がわたしを仏に成らせようとしたとしても、わたしも同じく地獄に行こう 』

【 指導 】
* 本来、聖職者とは、人々と「 ともに苦しみ 」「 ともに生き 」「 ともに進む 」ものなのである。 これは仏法の精神でもある。 大乗仏教の菩薩は、人々が成仏するまでは自分の成仏を後回しにしても、人を救うことを誓う。 自分だけが仏であり、自分だけが偉いとし、皆を見くだすのは仏法の心に反する。 「 ともに苦しみ 」「 ともに喜ぶ 」――この「 和合 」のなかに仏法は脈動する。
SGIは、こうした日蓮大聖人の大慈大悲を仰ぎながら、仏法の根本精神のままに「 人間の連帯 」を広げてきた。 この一点だけ見ても、SGIこそ大聖人の仏法を正しく実践していることは明らかである。 ゆえに真の功徳もある。

< 御書とその心 >より


日蓮大聖人の、これほどまでの慈愛に、わたしは涙を禁じ得ません。 師がそうであるならば、弟子も同じであります。 広宣流布の征くてに地獄が待っていようとも、そして、なにがあろうとも師弟の契りに変わりはありません。 

日蓮大聖人のお心は、創価三代の会長の心であり、学会歌「 ああ黎明は近づけり 」に詠われた 「 君が憂いに我は泣き、我が喜びに君は舞う 」との一節は創価同志の永遠の精神であります。
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Category : 御 書Comment : (2) |

* by ちよ
おはようございます
「 ああ黎明は近づけり 」
私も大好きな学会歌です

* by 夕焼け.
ちよさん、こんばんわ。

かつては、会合のはじめと終わりは常に学会歌でした。
声をからして何曲も歌った日々が忘れられません。

それは、形式というよりも、意気に駆られて歌わずにはいられない、というものでした。 広布への情熱が歌と共にあったような気がいたします。

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