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2013-12-09(Mon)
折伏していて、相手に「 信心しないと不幸になる 」と言う人がたまにいますが、そんなことはありません。 そんなことを言えば” 脅迫だ! ”と言われてもしかたがないでしょう。 三世の生命観からみれば、信心していなくても、幸せに一生を終える人もいます。 また、人類に多大な貢献をする人もいます。 信心していないからといって断定することはできません。 「 信心しないと不幸になる 」と言うのではなく「 まじめに信心してゆけば、必ず幸せになります 」というのがよいでしょう。

よく” 罰が当たる ”とゆう言葉も聞きますが、罰は当たるものではなく出るものです。 罰の反対となる功徳も同じで、やはり出てくるものです。 その人自身の自己責任で罰や功徳は出てきます。 少し難しい言い方になりますが、罰や功徳は生命のエンタルピーによって、その人自身に出てきたものなのです。 御本尊を馬鹿にし、粗末にすれば罰が出てきます。 日蓮大聖人を誹謗し、その弟子を迫害するならば罰は出ます。 そして、その反対は功徳を積んでゆくことになるのです。 「 信心しないと不幸になる 」のではなく、「 法華経を否定し、法華経の行者を誹謗する、誤った宗教を信仰すれば不幸になる 」のです。

信心しても、長い間の信心していないときに培われた価値観が、何をやるにしても出てきます。 そのために、信心したての頃は、勇み足の折伏をしがちですが、ようは、相手の幸せを願って誠実に、真心こめて、信心を語っていくことが大切なのです。 まちがっても、相手を負かしてやろうという気持ちや、馬鹿にしたような、見捨てるような態度は厳に慎しみ、戒めていかなければなりません。 
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