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2013-12-02(Mon)
慈悲といっても、自分のことですら、大変なのに、他人のことを思いやる気持ちなど、そう簡単には湧いてきません。 湧かそうと思っても出てこないのが普通です。
しかし、不思議なことに、折伏をするようになると、人を思いやる心が少しづつ生まれてきます。 それも自然と湧いてくるようになるんです。

頭の中でいくら考えても泳げるようにはなりませんし、手で行うミクロンの加工などとてもできません。 しかし、泳ぎを繰り返すうちに、うまく泳げるようになりますし、何度も失敗して、機械でも加工できないような、精密な加工ができるようになります。 人間は行為の中でしか身につけられないものがあるのです。

わたしたちは、最初は慈悲の心を持てなくても、折伏という慈悲の行為を行うことはできます。 
そのときに、まず必要となってくるのが“ 勇気 ”であり、“ 確信 ”であります。 なかでも“ 勇気 ”は最も必要なものであり、慈悲と勇気は表裏一体となっているといえます。 たとえば、老人に席を譲るのに最初は勇気が要るのも、そうですし、線路に倒れた人を救うのも勇気がなければできません。

折伏は仏の慈悲の行為ですから、勇気をもって折伏してゆけば、三身即一身で、仏の福徳と境涯がそこに自然と湧いてくるのです。 成仏の道は、唱題し折伏を弛まず行っていくところにあると言ってよいでしょう。 信心しても、折伏をしないと大きな功徳は出てこないのであります。 創価の歴史をみればそれは明らかであります。
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