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2011-07-31(Sun)
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(写真:SGIグラフ 撮影:池田大作)


人間はつい愚痴を言う癖があります。 自分のことならまだ良いのですが、たいていは自分と関係する人や組織のことが多いでしょう。
信心の世界では、この愚痴は大敵となります。 水魚の思いを成す創価の組織を壊すからです。 また福運を消してしまう原因となるからです。 愚痴はやがて怨嫉となり、罰を受け、信心をも破壊していきます。 世間一般のことでも、愚痴を言うときの人の表情は見苦しく卑しい。 当然、そのときの心も見苦しく、卑しい。 三悪趣(貪・瞋・痴)の命と言えます。
愚痴と批判は違うのですが、愚痴は批判となって現れることが多いのです。 一見もっともらしい意見として出てきますが、心が愚痴の場合には、やがて非難・中傷へと変貌していきます。 建設的な批判は、必ず客観的な把握と、問題解決のため心を尽くす、対話や行動を伴います。 対立のための批判ではないのです。 そうでなければ建設的とは言いません。 愚痴は破壊的な批判と言えるでしょう。
 
池田先生は入信当初、一部の威張った先輩の権威的な姿に、どうしても馴染めないでいたとき、戸田先生に打明けたところ、 「 ならば君自身が、本当に好きになれる、理想的な人間組織をつくればよいではないか 」 と言われたそうです。 池田先生は、この指導を受けてから、組織の最前線に飛び込み、矛盾と葛藤が交錯する現実という海原で、悩みながら、苦闘しながら、忍耐の心を持って、人間共和の組織を築き上げてきました。 たとえ正しいと思える批判でも、人を傷つけ、組織を破壊するような言動に終始するのは、総て愚痴であり、魔の働きであると断じても言い過ぎではありません。 公然と批判することより、そこにある矛盾や不条理と向い合って変革していくのが、正義であり、創価の精神なのです。 それが池田先生の弟子の姿なのです。 特に創価の青年の皆さんには、この精神を忘れず、創価の ” 人間のための組織 ”を 守りながら、主体的に、さらなる理想の組織を築きあげていただきたい、と念願するものであります。
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Category : 信 心Comment : (2) |

No title * by うつ病患者
『愚痴は福運を消す』と言われますが、私逹は人間(凡夫)です。辛いとき、苦しいとき愚痴を言いたくなるものです。『愚痴を言って心をスッキリさせて、題目をあげて頑張って行けば良いんだよ』と先輩から指導を受けました。人間(凡夫)は、心があります。心にストレスを溜め続けると、自殺をしたり、うつ病になったりします。現在は、ストレス社会です。ストレスのない人間はいません。愚痴の二つや三つ言いたくなるものですよ。愚痴を言って消えた福運はまた、積めば良いと思います。私は青年時代真剣に信心に励みました。そして、壮年部になった自分はうつ病になりました。私は言いたい事が有っても言えない性格です。そしてストレスや辛い事、苦しい事を溜めてしまうのです。そして、何回も自殺を繰り返しました。人間(凡夫)ですから愚痴を言うなと言う方が無理だと思います。

No title * by 夕焼け
うつ病患者 さん はじめまして。

愚痴を言うとは”言ってもどうにもならないことを言って嘆く”あるいは”愚かで道理のわからないことを言う”という意味ですよね。
わたしも、愚痴を言うことがあります。 しかし、スッキリしたことは一度もありません。 自分のことを愚痴るのも、わたしは勧めません。 生命力が弱るからです。

よく、人の欠点や悪口を、その人が居ないところで、心なく言う人があります。
これは愚痴になります。
直接本人と対話して、誠実にしっかりと話すべきであります。
これは愚痴ではありません。
さらに自分の苦しい気持ちや、感じてる不安、相手に対する気持ち、不条理な行為への不服などを、身近な信頼できる人に話して相談するのは、愚痴とは言いません。 解決する為に心に溜めず、話すべきです。

今回この記事は、信心の愚痴に焦点をあてて書いています。
”こんなに、頑張っているのに、功徳がない。””信心してるくせに、病気になるなんて。””信心しても、大変なことばかりで、イヤだ。””御本尊に唱題しても、生活がよくならない。”・・・・・・と廻りや関係のない人に言う。
これは、愚痴です。
”功徳がなかなか出ないが、どうしてだろう。””病気になってしまった。どうしたらいいだろう。””信心して、辛いことが多い。””なかなか唱題する気持ちになれない。”・・・・・・と信心の先輩や信頼できる人に相談する。 あるいは、御本尊に祈る。 
これは、愚痴ではありません。

愚痴の心でいくら唱題しても功徳はないでしょう。 迷いや辛さや苦しみを、素直に御本尊にぶつけて、唱題することが大切だと思います。

それと、人が聞いてて、人畜無害というか、なんというか、おもわず、同情したくなるというか、たあいのない愚痴はいいと思いますよ。
わたしはそんな愚痴は言います。 (^^

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