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2013-11-19(Tue)
「 折伏 」、この言葉を聞くと、信心していない方は、反射的にいやな印象を持つようです。 アンチであれば、戦闘モードにスイッチが入ります。 世間から見れば、印象の悪い言葉のようです。

創価では、ずいぶん前から「 折伏 」と言わず「 仏法対話 」と言うことが多くなっていました。 かくゆう、わたしもそうであります。 しかし、草創期から信心している方からしてみると、「 仏法対話 」とゆう言い方は、なにか、こそばゆいというか、水で薄めたお茶を飲んでいるような感覚を覚えるようです。
わたしは、若いころに「 折伏 」と聞くと優鬱になった時期があります。 もともと、人と接することが苦手な(パニック症候群があった)ためですが、信心の話をしても、たいがいは反発され、ろくでもない情報を鵜呑みにして、中傷されることもあるからでした。 心の折れることもあり、折伏するのは勇気がいりました。

この「 折伏 」という言葉は仏教用語です。 反対語として「 摂受 」があり、創価が作った言葉ではもちろんありません。
言葉自体が出てくるのは勝鬘経(しょうまんきょう)という経典で、「 まさに折伏すべきものは、これを折伏し、まさに摂受すべきものは、これを摂受せん。 」と説かれております。 仏教の布教の仕方を二つに類型化すると、この摂受と折伏になるということです。 この摂受と折伏については、いろいろと議論がありますが、多くが表面的な捉え方に偏しているような気がします。 これから、何回かに分けてこのテーマについて、わたしの考えをまとめてみようと思います。

信心をすると個人に与えられる御本尊を戴きますが、創価にも本部常住の御本尊というものがあります。 常住というのは、創価の命(いのち)ともいえる意義をもつものであり、創価と不二の御本尊ということであります。 その御本尊には「 大法弘通慈折広宣流布大願成就 」としたためられており、創価の骨髄がそこには示されています。
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