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2013-10-08(Tue)
この御書は、弘安2年(1279年)9月に身延において、寂日房を介してある門下にしたためられた、日蓮大聖人58歳の時の御手紙です。

この年の9月21日には、滝泉寺院主大行地の陰謀による「 熱原の法難 」が起こり、翌月の10月12日に出生の本懐である大御本尊を日蓮大聖人は顕されております。


【 要 文 】

『 夫れ人身をうくる事はまれなるなり、已にまれなる人身をうけたり又あひがたきは仏法・是も又あへり、同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる結句題目の行者となれり、まことにまことに過去十万億の諸仏を供養する者なり。 』

『 日蓮は日本第一の法華経の行者なりすでに勧持品の二十行の偈の文は日本国の中には日蓮一人よめり、八十万億那由佗の菩薩は口には宣たれども修行したる人一人もなし、 』

『 父母となり其の子となるも必ず宿習なり、 』

『 一切の物にわたりて名の大切なるなり、さてこそ天台大師・五重玄義の初めに名玄義と釈し給へり。 』 

『 日蓮となのる事自解仏乗とも云いつべし、かやうに申せば利口げに聞えたれども道理のさすところさもやあらん、経に云く「 日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す 」と此の文の心よくよく案じさせ給へ、斯人行世間の五の文字は上行菩薩・末法の始の五百年に出現して南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして無明煩悩の闇をてらすべしと云う事なり、 』

『 今の経文の次下に説いて云く「 我が滅度の後に於て応に此の経を受持すべし是の人仏道に於て決定して疑い有ること無けん 」と云云、かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり、法華経の行者といはれぬる事はや不祥なりまぬかれがたき身なり、 』

『 同じはぢなれども今生のはぢは・もののかずならず・ただ後生のはぢこそ大切なれ、獄卒・だつえば懸衣翁が三途河のはたにて・いしやうをはがん時を思食して法華経の道場へまいり給うべし、法華経は後生のはぢをかくす衣なり、経に云く「 裸者の衣を得たるが如し 」云云。 』

『  此の御本尊こそ冥途のいしやうなれ・よくよく信じ給うべし、をとこのはだへをかくさざる女あるべしや・子のさむさをあわれまざるをやあるべしや、釈迦仏・法華経はめとをやとの如くましまし候ぞ、 』
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