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2011-07-27(Wed)
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(写真:聖教グラフ)


わたしは、20歳のとき高校を卒業し働いていましたが、会社を通じて、ある分野の人達と一緒に仕事をするようになり、その人達の影響で職業を変える決心をしました。 その為に、大学に進学することにしたのですが、母がとても反対しました。 当時勤めていた会社は、大きな会社でしたし、大卒は国立大学の修士か博士課程の卒業者だけしか採用しませんでしたから、優秀な会社だったのです。 母が気に入ってたのは、なによりも給料が良くて将来が安定している会社だったからですが、説得するのがとても大変でした。 それでも最後には入学金は出すが、学費は自分で払うことを条件に許してもらいました。 会社の先輩や上司も、辞めないで働きながら行ったらどうかと言ってくれましたが、分野が違うのと、工業高校で習う一般課程では受験にはかなりハンデがあるので、会社を辞めて勉強しなければ無理だと思ったのです。 その先輩は、今はその会社の会長をやっていますが、大学時代や卒業するときには、いろいろとお世話していただいた恩人であります。 わたしが信心していることは知っていますが、まだ信心の話はしていません。 いつか話すことが出来ると思っています。

辞めた年の4月から、予備校に通っての浪人生活が始まります。 予備校はとても無味乾燥でつまらなく、レベルが高くてついていけませんでした。 やがて惰性に流され勉強に身が入らなくなり、予備校にも通わなくなりました。 そんな中で、池田先生との記念撮影会が行われることになり、わたしは整理役員の一人として参加。 学会本部で直接先生にお会いすることができ、それを契機に、勉強にうち込むことが出来るようになりました。 会場で先生と対面したとき、こんな姿をお見せして申し訳ないという気持ちが湧き上がり ” よし! ” と負けじ魂に火がついたのです。 先生にお会いしたのは、高校生のとき、大石寺での夏期講習会が初めてでしたから、そのときの鮮烈な記憶とともに、今のだらしない自分がとても恥ずかしく思えたのです。 それからは、題目と勉強と飯、みたいな感じの毎日で、志望の大学に無事合格することが出来ました。
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