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2013-07-10(Wed)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られております。


【 本文 】 松野殿御返事 (1388P) 
『 但在家の御身は余念もなく日夜朝夕・南無妙法蓮華経と唱え候て最後臨終の時を見させ給へ、妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ、法界は寂光土にして瑠璃を以て地とし・金繩を以て八の道をさかひ、天より四種の花ふり虚空に音楽聞え、諸仏・菩薩は皆常楽我浄の風にそよめき給へば・我れ等も必ず其の数に列ならん、 』

【 通解 】 
『 在家の身としてあなた(松野殿)は、ただ余念なく、昼に夜に、朝に夕に、南無妙法蓮華経と唱えて、最後の臨終の時を見てごらんなさい。 妙覚の山に走り登り、四方をご覧なさい。 法界(全宇宙)は寂光土であり、大地は瑠璃でできていて、黄金の縄で八つの道をしきり、天からは四種類の花がふり、空中に美しい音楽が聞こえ、諸仏・菩薩は皆、常楽我浄の四徳の風にそよめかれている。  われらも、必ずその仏・菩薩の列に連なるであろう。 』

【 指導 】
* 人生を山に例えれば、 「 臨終 」 は山頂といえよう。 山頂からは、広々とした下界が見渡せる。 「 死 」 の頂から見てはじめて、生涯の幸、不幸の光景も、勝利と敗北の実相も見えてくる。 また死後、すなわち来世という新しい出発を望むこともできる。 荘厳な大光につつまれた山頂もあろう。 噴火口のような地獄への山頂もあろう。 さまざまであるが、必ずそこにいたることだけは、間違いない。
人生は、この頂への登攀である。ゆえに山頂(死)を見つめずに歩む人は、目的地から目をそらして山登りするようなものであり、道に迷うのはむしろ当然かもしれない。 ここに 「 死 」 の解決を教えゆく正しき信仰が必要となる一つの理由がある。 日蓮大聖人は、私ども門下の臨終は 「 妙覚(仏の最高の悟り)の山 」 に登ることであると仰せである。 なんとすばらしい、燦爛たる光の世界であろうか。 宇宙の広がりをつつみ、永遠の時を自在に遊戯される御本仏の偉大なご境界が仰がれる。 そして、門下をどこまでも慈しみ、包容されるあたたかさ。
妙覚の高みから望む全宇宙は、煌々と輝く寂光土であり、妙法につつまれた生命は、瞬時にその遊楽の都に入っていくとのこ断言である。 御本仏のお約束は絶対である。 微塵の狂いもない。

< 御書とその心 >より


「 最後の臨終の時を見てごらんなさい。 」
あたたかくも、確信に満ちた、お言葉ではないでしょうか。
わたしは、この御書を読むたびに、涙が零れてきてしまいます。

臨終のときに、いままで歩んできた出来事に感謝して、常楽我浄の風に抱かれながら、次の人生を迎える自分でありたいと、しみじみ思います。
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