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2013-06-30(Sun)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られております。


【 本文 】 上野尼御前御返事 (1580P) 
『 一切経の功徳は先に善根を作して後に仏とは成ると説くかかる故に不定なり、法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り・口に唱ふれば其の口即仏なり、 』

【 通解 】 
『 法華経以外の教えでは、先に善根(因)を積んで、後に仏(果)になると説く。しかし、法華経では、手に取れば(因)その手がそのまま仏(果)となり、ロに唱えれば(因)そのロがそのまま仏(果)となる 』

【 指導 】
* まことにすばらしき妙法の力である。
皆さまもよくご存じのとおり、 「 蓮華 」 は、仏法上、深き意義を託されている花である。 くわしくは略させていただくが、その一つとして 「 蓮華 」 は、花(因)と実(果)が同時に生長していく。 他の花には見られない特徴がある。これは妙法蓮華経の因果倶時の法理を表している。

何度も生まれては修行を繰り返し、ようやく仏になれる、というのではない。 また、過去の暗い罪業に縛られることもない。 今世の日々の生活のなかで、妙法を今、信じゆく 「 信心 」 の一念によって、瞬間瞬間、この生身の五体に、そのまま尊極な仏の生命を脈動させていける。 これが大聖人の仏法である。

総じては、広布に徹しゆく、信心強き人は、そのまま仏であると説かれている。 ゆえに、この人々を軽んじ、見くだしていくことは、仏を見くだすことである。 仏を軽んじては、罪をつくることは当然である。 一人の妙法の友に対しては、どんなに尊敬しても、尊敬しすぎることはない。

< 御書とその心 >より


日蓮大聖人(御本仏)が、仰っているのです。
広宣流布の大願に生きる人が、一生成仏しないわけがありません。

御本尊に唱題し、妙法を語り、広宣流布ために尽す人が、その時は、仏とは見えないかもしれませんが、仏に成りゆく人であり、生々世々、金剛の身を備え、福徳に囲まれ、崩れざる勇気と、尽きることのない智慧と、深き慈悲をたたえた境涯で生きていくことができる、とのお約束です。

反対に、法華経の行者を誹謗する人は、その時には何事もないように見えても、地獄の人なのです。 立正安国論には、『 仁王経に云く「 人仏教をやぶらばた孝子無く六親不和にして天竜もたすけず疾疫悪鬼日に来つて侵害し災怪首尾し連禍縦横し死して地獄・餓鬼・畜生に入らん、若しいでて人と為らば兵奴ひょうぬの果報ならん、響の如く影の如く人の夜書くに火は滅すれども字は存するが如く、三界の果報も亦復またまた是くの如し 」 』また、聖人御難事には 『 過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにてついにほろびざるは候はず、 』とあります。
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