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2013-06-26(Wed)
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(写真:SGIグラフ  南アフリカ ダーバン 2013年4月)

創価の凄さは、信心した人の信仰体験の多さと感動的な内容にあると、つくづく思います。 

聖教新聞、大白蓮華、各種会合や座談会には、必ずといっていいほど、新しい体験談が次から次へと紹介されています。 身近な人や海外に住む人にいたるまで、苦難を克服した実証を目のあたりにすると、日蓮大聖人の仏法の正しさを改めて実感させられます。 

わたしは、信心したばかりのころに、初信の功徳を体験し、信仰に確信をもつようになったのですが、その後、清算しなければいけない宿業が出てきたり、福運を積むため、境涯を高め、人間として成長するために、様々な苦境や労苦に見まわれはじめると、確信も褪せ、逡巡したり、引き下がったり、落ち込んだりするようになることがありました。 しかし、多くの同志のすばらしい体験談にふれることで、初信を取戻し、唱題し、仏法対話に汗を流すことで、さらなる実証を掴んできました。

日蓮大聖人は、御書のなかで、『 仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず 』と仰っていますが、” 本当にそうだなぁ ” と思います。 仏教の浅深・善悪・正邪は、釈迦の残した経典やその論理的内容によって判定することは当然として、 ” 人々を実際に救ったのか ” という視点から見ていくことが大切であります。 その点で、日蓮大聖人の仏法、なかんずく創価の信心には、ほかでは真似のできないほどの ” 現証 ”があり、質・量ともに、創価にはどんな宗教も敵わない。
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