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2013-05-14(Tue)
この御書は、弘長元年(1261年)4月、鎌倉において、椎地四郎に与えられた、日蓮大聖人40歳のときの御手紙です。

椎地四郎は駿河国駿東郡(静岡県沼津から御殿場のエリア)に住んでいたといわれ、四条金吾、富木常忍とも親交があったようです。 どのような方か詳細は不明ですが、日蓮大聖人の葬送に参列した記録が残されており、地道に信仰を続けられた方ではないでしょうか。
日蓮大聖人は、この年の前年には松葉ヶ谷の法難、そして、この年の5月には伊豆流罪と、 「 立正安国論 」 を上奏してから、矢継ぎ早に、念仏者たちに狙われ、讒言によって迫害されます。 そして、いよいよ、末法の法華経の行者として、これに続く大難に立ち向かわれてゆきます。


【 要 文 】

『 末法には法華経の行者必ず出来すべし、但し大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし、火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや、大海へ衆流入る・されども大海は河の水を返す事ありや、法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れども・かへす事とがむる事なし、諸河の水入る事なくば大海あるべからず、大難なくば法華経の行者にはあらじ、天台の云く「衆流海に入り薪火を熾んにす」と云云、法華経の法門を一文一句なりとも人に・かたらんは過去の宿縁ふかしとおぼしめすべし、 』

『 法師品には若是善男子善女人乃至則如来使と説かせ給いて僧も俗も尼も女も一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり、 』

『 生死の大海を渡らんことは妙法蓮華経の船にあらずんば・かなふべから。 』

『 抑法華経の如渡得船の船と申す事は・教主大覚世尊・巧智無辺の番匠として四味八教の材木を取り集め・正直捨権とけづりなして邪正一如ときり合せ・醍醐一実のくぎを丁と・うつて生死の大海へ・をしうかべ・中道一実のほばしらに界如三千の帆をあげて・諸法実相のおひてをえて・以信得入の一切衆生を取りのせて・釈迦如来はかぢを取り・多宝如来はつなでを取り給へば・上行等の四菩薩は函蓋相応して・きりきりとこぎ給う所の船を如渡得船の船とは申すなり、是にのるべき者は日蓮が弟子・檀那等なり、 』
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