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2013-05-08(Wed)
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今日は御本尊について語りたいと思います。

御本尊について、日蓮大聖人の御書には 『 末法に入つて法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり、法華経の題目・宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり。
今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり、然れば阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益なり、聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり、多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへば・さにては候はず我が身を供養し給う我が身又三身即一の本覚の如来なり、かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ、ここさながら宝塔の住処なり、経に云く「法華経を説くこと有らん処は我が此の宝塔其の前に涌現す」とはこれなり、あまりに・ありがたく候へば宝塔をかきあらはし・まいらせ候ぞ、子にあらずんば・ゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。
 』( 阿仏房御書 1304P )とあります。
また、他の御書には 『 此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり、十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり。 』( 日女御前御返事 1224P )とあります。
これらは、御本尊について書かれた、とても重要な御書であります。

誤解を恐れずに語ってゆけば、日蓮大聖人は、わたしたちが御本尊に唱題するとき、その身は本覚の如来であり、南無妙法蓮華経の当体なんだ、と仰られています。 これは、わたしたちが、御本尊に南無妙法蓮華経と唱題し、広宣流布に生き抜いていくならば、御本仏とまったく変わらない仏である、という意味なのです。 そして、日蓮大聖人は、そう信じて南無妙法蓮華経と唱えていきなさい、と、強く仰られています。 

毎日、御本尊に向かい、書かれてある一字一字の意味を探っていくと、日蓮大聖人の出生の本懐は御本尊に尽きる、と、つくづく思います。 すべてが御本尊に説かれているのです。
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