--------(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Category : スポンサー広告 Comment : (-) |
2012-11-26(Mon)
blog_import_523db0bca6a63.jpg


今日は、大白蓮華12月号に掲載されている、池田SGI会長の御書講義 「 上野殿御返事 」 の一部を紹介させていただきたいと思います。


* 追伸には、 『 かつへて食をねがひ・渇して水をしたうがごとく・恋いて人を見たきがごとく・病にくすりをたのむがごとく、みめかたちよき人・べにしろいものをつくるがごとく・法華経には信心をいたさせ給へ、さなくしては後悔あるべし 』 とあります。 法華経如来寿量品第16の自我偈にも、 『 皆く恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず 衆生は既に信伏し 質直にして意は柔軟に 一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまざれば 』 とあります。
御本尊を信じ、妙法を求める心は、どこまでも強盛にして一筋で、また素直であることです。 自身の宿命転換を願い、広宣流布の実現を祈って、身命を惜しまず戦うところに、必ず幸福勝利の人生を開くことができる。 生涯、素直に信心を貫き通した人が勝利の人です。 最後に勝つ人です。 ここに信心の極意があります。

苦闘の中でこそ、真の人間が鍛え上げられます。
苦闘の中でこそ、強靱な鋼の意志が育つのです。
苦闘の中でこそ、人生の真実の涙を知ることができます。
そして、苦闘の中にこそ、偉大な人間革命があるのです。

< 勝利の経典「御書」に学ぶ > より


” 素直な信心 ” こそ信心の要ではないでしょうか。 どのような人でも成仏できる理由がここにあります。 成仏には余計な知識や学識は必要ないとさえいえるでしょう。 日蓮大聖人は、他の御書で 『 夫信心と申すは別にはこれなく侯。 妻のをとこをおしむが如く、をとこの妻に命をすつるが如く、親の子をすてざるが如く、子の母にはなれざるが如くに、法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏菩薩・諸天善神等に信を入れ奉りて、南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを信心とは申し候なり 』 とも仰っています。 御本尊を信じ抜いて、御本尊に祈り抜いて、広宣流布に生き抜いていく人が、結局は成仏していくということです。 釈迦が垢衣を脱いで、宝塔を開き、多宝塔に入ったという意味がここにあります。 釈迦は多宝如来と並座して生死不二の成仏を示されているのです。
関連記事
Category : 御 書Comment : (2) |

No title * by 智太郎
はじめまして!12月の大白には目を通してませんが、信心:活動に対しては、確かに体験を積んだ私は、強盛にして一筋の信心でいます。でも、また素直であること。この事に関しては、強盛一筋の信心だとまでは思っておりませんが、素直になれぬ時が、たまにあります。

No title * by 夕焼け
智太郎さん、こんばんわ。

素直な信心とは、何の前提条件も無く信じ、祈り、行動していくことを意味していると思います。 ” 無疑曰信 ” という言葉がありますが、信心とは信じる心と書くように、もとから素直であるはずのものです。 それを、あえて ” 素直な ” とつけるのは、人はなかなか御本尊を、日蓮大聖人の言葉を信じることができないからではないでしょうか。 智太郎さんは、たまにとおっしゃいましたが、わたしなどは、ことあるごとに素直ではありませんでした。 (^^; 
日蓮大聖人の言葉を、御本尊を信じることは、そう簡単なことではありませんでした。 信心をしていて、頭では理解しているようでも、実のところ信じていないことに、気付かされることが少なからずあります。 信心する側からいえば、心に信じる心を確立するために修行することを ” 信心 ” と言っていいくらいです。 これからも、心の垢を落としながら、信心を深めていきたいと思います。

コメント





 非公開:管理者にだけ表示を許可


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。