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2012-11-06(Tue)
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人には記憶があります。 しかし、過去の限られた記憶しか思い出せません。 一説には、生まれてから死ぬまでの総てが脳に記憶されているといいます。 しかし、すべてを思い出すことは普通は出来ません。 わたしは、生まれて3日目の記臆があります。 また、断片のように1歳のときの記臆もあります。 それは、母の話と写真が残っていたため、後でわかったことですが、そんなに古いことを覚えているのに、昨日のことすら、初老の身では思い出せないことが多々あります。

脳やその中にある海馬が萎縮すると、記憶障害が起こることが判っています。 死んで脳が破壊されれば、すべての過去の記憶は無くなると考えるのが当たり前ですが、はたしてそうなのでしょうか。
心理学では、人の記憶は、思い出せなくても意識の奥深くに刻まれているとしています。 また、人智学では、アカシックレコードに総ての記臆と出来事が遺されているとしています。 人の心が脳によって作り出されているのであれば、やはり記臆は脳にあるといえるでしょうが、過去世の記憶を持つ人や、催眠療法で、生まれる以前にまで記憶がおよぶ現象は、それでは説明がつきません。 わたしは、脳は生命という電波の受信機であり、発信機でもあると考えています。

人の脳は神経細胞の集合体で、その一つ一つが生命体です。 記憶はどのように神経細胞に蓄積されているのでしょう。 脳の細胞の働きは、いろいろな化学物質やイオンによって伝えられ。 微弱な電流を使って機能しています。 脳波は脳の電気的な活動や磁場を捉えたものです。 人の記臆は、神経細胞の中に化学物質の配列として、また磁気信号として刻まれているのでしょうか。 いまだにそのことは解明されていません。 もし、脳の記臆の貯蔵庫が解明されれば、SFの世界にあるように量子コンピューターを使って、過去の記臆を映像化することも可能かもしれません。

仏教では、同名同生天といって、人の一生を残らず記臆している天子が、両肩の上に影が身に添うように、片時も離れずにいるとされています。 一人では間違いが起こるといけないので、ダブルチェックしている、というわけではなく、善と悪を別々に記臆する役割とされています。 まさに業のバランスシートを記録する書記といってよいでしょう。 釈迦は悟りを開くときに総ての過去世を思い出したとされていますが、どこにその記臆があったのでしょう。 仏が言うのですから、たしかに記臆はどこかに残されていたのでしょう。 まさかそんなことはありえないと思うかもしれませんが、時間が伸縮したり空間が曲がったり、五次元の世界が存在すると真剣に考えている現代の科学のことを思えば、簡単には否定できません。

脳にしか記憶がないとして、三世の生命について考えると、この仏法に縁して、信心を始め、来世でも同じ信仰を持ちたいと思っても、一切の知識や記憶は死と共に無くなる訳ですから、生まれ変わって仏法に会えたとしても、また信心するとは限りません。 裕福な家に生まれ、健康で、頭もよく、容姿に恵まれて生まれたならば、はたして信心するでしょうか。 どんな人にも悩みはありますから、信心するようになるかもしれませんが、紆余曲折はいなめないと思われます。 その意味で、生まれて多少のリスクやハンデがあったほうが、早く信仰に目覚め、信心するようになるのではないでしょうか。
わたしが、貧乏で、体も弱く、頭の悪い、容姿も劣る人間に生まれてきたのは、その為なのか、と、思ったりしていますが、裕福な家に生まれ、健康で、頭もよく、容姿に恵まれて生まれ、すぐ信心ができたら、もっといいのにとも思います。 (^^;

福子の皆さん、最高の生まれ方をしてきたんですよ。 (^^
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