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2012-10-10(Wed)
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今日は、痛ましいニュースを目にしました。
残念でなりません。

「 パキスタンのタリバーン運動 」 と名乗るパキスタンの武装勢力が、 ” 反タリバーンだ ” という理由だけで14歳の少女をスクールバスの中で頭と首を銃撃した。 と報じられていました。 愚かな行為であります。 こんな暴力に正当性は微塵もありません。 宗教の名を利用した悪魔の仕業というべきであります。 自らの信仰を汚し貶めるものです。 こんな行為は断じて非難されなければなりません。 このようなことをした人間はサタンであり悪魔の手先であります。 このようなことを非難しないのは、同じことをしたのと同じであり、信仰を持つものが看過していてはいけないことだと思います。 同じ信仰をする人ならば、なおさらに非難するべきであります。

神に正当性があるなら、人間が代わって行う必要はまったくありません。 神の専権事項であります。 このような蛮行は、自らの神に正当性がないことを認めているようなもので、あまりにも幼稚な精神性を顕すものでしかありません。 仏法の目で見れば、このような人間はいずれ三悪趣(貪・瞋・癡)にまみれ、三悪道(地獄・餓鬼・畜生)に生じて、苦しむことになるでしょう。 このような人間の生命の本質は修羅であります。 強い自我意識に執着し、勝他の念にとらわれ、心が曲がって物事を正しく見ることが出来ずに、争いのなかに漂う生命です。 天台大師の摩訶止観には 「 其の心、念々に常に彼に勝れんことを欲し、人に下るに耐えず、他を軽んじて己を珍(とうと)むこと鴟(とび)の高く飛びて下し視るが如く、しかも外には仁義礼知信を掲げ、下品の善心を起こさば、阿修羅道を行ず 」 とあります。
日蓮大聖人は 『 いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり、三千界無有直身命ととかれて三千大千世界にみてて候財も・いのちには・かえぬ事に候なり 』 と仰っています。 それは、人が仏の生命を持ち、仏に成ることができる存在だからであります。 その生命を絶つ行為は、仏の命の種を絶つことと同じであります。 生命を尊ぶことのない宗教など人間に必要ありません。 そんなものは似非の宗教であり、宗教を利用したエゴイズムであります。 未来の宝である幼い命を、恐怖と苦痛にあわせたうえ、したり顔で、「 また襲う 」 とうそぶくようでは、まさに ” 外には仁義礼知信を掲げ、下品の善心を起こさば、阿修羅道を行ず ” であります。

少女が可哀想でなりません。

非難する人、弾圧し、命さえもねらう人を、救ってゆこうとする、不軽菩薩の精神こそ信仰する者の精神であるべきです。 暴力で他人を思うがままににしようとする心は、第六天の魔王の心なのです。
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