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2012-09-20(Thu)
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ある一般紙のコラムに 「 疑え、しかし検証を 」 と題して、なんの裏づけもない事を、簡単に信じてしまう昨今の風潮を取り上げていました。

コラムで取り上げていたのは、「 大津市のいじめ自殺は、実は他殺なんでしょう。 マスコミはなぜ報じないのですか。 」 という学生の問いかけと、 「 大阪市営地下鉄の運転士が、喫煙で停職1年の懲戒処分を受けて自殺した 」 と自身のフェイスブックのページに掲載して、橋本市長の責任と、その事を報じないマスコミを非難した、ある大阪市議の顛末についてでした。
最初の大津の事件では、 「 実は他殺なんでしょう 」 という学生の発言について、それを裏付けるような根拠があるわけでもないのに、 「 ネットでみんながいっているから 」 という理由で、なんの疑いもなく 「 表向きはこう説明されているけれど、実は・・・ 」 という情報を信じてしまう人が増えていると指摘し、大阪市議の顛末では、自殺が事実無根の情報だと判り、フェイスブックに記載してから2日後に、閲覧できないようにしていたことが明らかになったことについて、容易に事実確認ができたはずなのに、それを怠り、そのまま誤情報を社会に広めた行為を責めていました。

そして、 『 疑うことが悪い訳じゃない。 そこから検証を始めることが、真実に近づく第一歩になるからだ。 だがしかし、検証なき疑いは何も生み出さないだけではない。 その 「 実は・・・ 」 に悪意が含まれていれば、信じるだけで被害を拡散させる “ 共犯者 ” になることを忘れないでほしい。 』と訴えていました。
まったく、然り、であります。
疑うことと、信じることは背反するもののように思えますが、表裏一体のものです。 真実を求めるから疑いが生まれ、信じるにたるものに近づいてゆくことができるのです。 信仰を語るとき、世間一般では疑うことがよいとされ、信じることは愚かなことだと診ます。 信仰する側からゆえば、まったくその逆であります。 コラムの記事では、疑うことに絶対的価値をおき、疑えばよいとして、疑いをそのまま信じてしまう愚かさを指摘しています。 疑うとゆうことはとても大事なことですが、検証もしないで ” 疑い ” を ” 信じて ” しまうことは、盲目的に信じることと同じなのです。 盲目的な疑いは、盲目的な信と同じように危ういとゆうことです。 検証の伴わない盲目的な疑いと信は、同じように真実を覆い隠してしまい、誤った判断を招いてしまいます。
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