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2012-08-30(Thu)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られております。


【 本文 】 御義口伝 (P769) 
『 其の故は不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の仏性又不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向つて礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり云云 』

【 通解 】 
慢心の四衆( 僧・尼・俗人の男女 )に対して、あなた方も必ず成仏すると礼拝した。 その時、慢心の人々の仏性も、不軽菩薩を礼拝したのである。 鏡に向かって礼拝すれば、映った姿もまた、自分を礼拝しているようなものである

【 指導 】
これは弘教の根本精神を説かれた御文である。 弘教とは、相手をもっとも尊敬し、その仏界を礼拝しての行為なのである。 ゆえに、いささかも礼儀に反した、また非常識や傲慢な振る舞いがあってはならない。 相手の仏界に呼びかける思いで、ていねいに、穏やかに、またある時は厳父のごとき慈愛で、語っていくことである。 その時、相手の仏界が、鏡のように、こちらの誠実な姿を映して、礼拝し返すのである。 相手を仏のごとく大切にすれば、相手の仏性も、こちらを守ろうとする。 人を軽侮し、見くだせば、鏡に映したように、自分が見くだされる。 " いつかそうなる " のではない。 生命の世界においては、その瞬間に因果がきざまれている。 そして時とともに、それがはっきり表れてくる。

< 御書とその心 >より


仏法対話は、相手をやっけるために、言い負かすためにやっているのではありません。 相手のことを思いやり、なんとか、幸せになってもらいたい一心で、真剣に、全力投球で語ることなのです。 対話する自分の生命の置きどころが、とても大事になってきます。 仏の心を灯しながら、仏と同じように布教してゆくところに、自他不二の仏性の覚醒が、生命の交流する世界で始まります。
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