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2012-08-21(Tue)
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人間の生命のことを考えるとき、いつも思い起こされるのは、自分という生命と、体を構成する一つ一つ細胞の生命は同じなのか、違うのか、とゆうことであります。 精子卵子のそれぞれの生命は、結合とともにどうなってしまうのか、精子が死に、卵子が人間の萌芽となり成長してゆきますが、自分はどこから、いつからが自分なのか、考えれば考えるほど、解らないことばかりでした。 人間の細胞は7年で新しい細胞に入れ替わるとされるように、人間の生は一つの細胞の生死の積み重ね、連鎖によって支えられています。

最初の頃は、人間の細胞は、自分という生命に司どられているもので、細胞一つ一つに別の生命があるというふうには考えませんでした。 しかし、生命のことを思索していくほどに、人間の体を形成する細胞の一つ一つは、別の生命なのではないか、 人間は、多くの生命に支えられて、個として、自分として、生命活動を行っている存在なのではないか、というふうに、思い始めるようになってきたのです。  そして、あるとき、法華経従地涌出品の文が頭に浮かび、 ” そうなんだ ” と気づかされました。

法華経従地涌出品には、地涌の菩薩を、釈迦が召しい出だす箇所があります。 その一々の地涌の菩薩には、六万恒河沙の眷属が伴っていると描写されています。 この、六万恒河沙という数ですが、恒河沙というのはガンジス河にある砂のことで、数えきれないほどの、という意味です。 ここで、わたしが注目したのは6万の6という数字です。 人の細胞は約60兆個あるそうです。 不思議な附合です。 この文により、わたしは、わたしという人間が、別の生命の有機的集合体とともにあるのだ、と気づくことができました。 そう気づくと、いろいろなことが理解できるようになったのです。

まさに、人間は、それぞれの使命に生きる生命とともに生きているのです。 生かされているともいえます。 自殺や、不摂生は、この生命体を傷つけ、生命の尊厳をあなどることになります。 60兆の眷属とともに地涌の菩薩として、使命を果していかなければなりません。 人間そのものも一念三千の当体なのです。 三世間も備わっているコスモス(小宇宙)なのです。

その意味で、くれぐれも、体(眷属)を大事にいたわって下さい。
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Category : 生 命Comment : (2) |

No title * by 真理子
大きな数のことをかんがえることとともに小さな自分の内面にもめがいきごぶっちをいただきましたね。

No title * by 夕焼け
真理子さん おはようございます。

コメントありがとうございます。

コメント





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