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2012-08-04(Sat)
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わたしは東京で生まれました。 埼玉の県境に近い板橋の小豆沢というところです。 それから生まれてすぐに、前野町に移り小学校5年生まで暮らしていました。 入信した頃はまだ小学3年生とゆうことになります。

その日はいつものように、近所の子供達と一緒に遊んでいましたが、兄が中学の同級生と出かけることになり、両親は働いて留守でしたから、兄はわたしを連れて池袋の常在寺に向かうことになりました。 当時はお金もないので、歩いていったと思います。 池袋の陸橋の上で熱くて喉が渇き、お腹もすいてきたのを覚えています。 そのころの常在寺は木造のお寺で、畳敷きの広い本堂の後ろのほうに座り、わたしは誰かが用意した麦茶を飲みながら儀式の様子を見ていました。 読経が終わり、僧侶が何か手に持ってこちらを向いたとき、本堂にいた大半の人が、その元に集まってゆきます。 僧侶は何やら唱えながら、布で覆われた板のようなものをさしだし、一人一人の頭にかざしてゆきます。 それを一人一人が受けているとき、その集まった入の中から手招きする人がいて、独りでぽつんと座っていたわたしは、何も考えずにそのなかに入ってゆきました。 当時は、暗い雰囲気の神社やお寺が嫌いだったはずなのに、そのときは不思議とそんな気持ちがありませんでした。 人が押し合うように接近し、僧侶のもとに進んでゆきますが、頭にかざされるのを見て、わたしもそこに頭を差し出すように伸ばしたのを覚えています。 記憶はそこまでで、その後どう帰ったか、さっぱり覚えていません。 翌日にはそんな出来事はとうに忘れて、遊びに夢中になっていました。

当時のお寺は、創価の折伏で大勢の人が来て入信していたようです。 そのときも、本堂のすべての人が僧侶のもとに集まってゆくような感じで、わたしもその人たちに揉まれるように御受戒を受けたのでした。 今では考えられないような光景です。 実は、母はその2年前に近所の人から熱心に勧められ、入信していました。 しかし、入信はしていましたが、勤行もせず、活動もしていませんでした。 兄もわたしも同様で、同じ家族で、お互いに入信しているのを知らない状況が続いていました。 そんななかで母が先に信心をし始めます。 貧乏と、病弱なわたしと、気分しだいで仕事を休む父に悩んでいたのでしょうか。 信心をし始めると母はやがて家族の太陽となってゆきました。 そして、家族に転機が訪れ、それまで、6畳ひと間の引揚者住宅に家族4人が暮らしていましたが、2DKの文化アパートで暮らすようになります。

どこの家庭でも母は家族の幸せを願い続ける存在です。 ほんとうにありがたいものです。 この母を含め、わたしの幸せを願う人がいたから、わたしは信心を始めることができるようになったのだと思います。 ” 広宣流布とは、互いの幸せを願う民衆の連帯の広がりである ” と池田先生は仰いましたが、そのとうりの創価です。 辛抱づよく、わたしを見守ってくれた創価の人々に感謝しています。 『 人のために火をともせば・我がまへあき(明)らかなるがごとし 』 と御書にあるように、わたしの福運はすべてその人たちにも注がれるでしょう。 注がれるような信心をしなければいけない。 そう入信記念日には思うのです。
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