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2012-07-24(Tue)
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* 順風満帆に生きて、苦労もせずに、成功を収めた人などいません。 失敗も、挫折もなく、人生の勝利者になった人もいません。 泣く思いで苦労に耐え、何度も絶望の淵に立ちながら、粘り強く、前へ、前へと進んでいった人が、人生の勝利者になっているんです。
 たとえ、失敗や敗北はあっても、絶対に腐ってはならない。 いじけて、自らを卑しめることこそが敗北なんです。 忍耐強い人が、最後に勝つ人なんです。 その粘り強さを身につけていくための唱題であり、仏道修行であることを忘れないでください。
 人生の勝利の栄冠は、信心を根本に、執念に執念を尽くし、粘って粘って粘り抜き、自分の決めた道を歩んでいった人の頭上に輝くことを宣言しておきます。

< 新・人間革命 厚田32 >より


この言葉は、創価の信心をしている中学生・高校生の男女に対して話された、池田SGI会長の言葉であります。 成長する途上の子供達に話している内容なので、唱題については、さらっと触れているだけですが、信心の肝要がしっかりと示されています。
創価は、信心だけしていれば、それで幸せになれるとは、言っていません。 信心があれば、病気にもならないとも言っていません。 馬鹿げた話ですが、台風や災害にも事故にも遭わないなどとも言っていないのです。 しかし、信心していない人は、創価がそのように言っていると思っています。 そのために、信心してる人が病気になったり、苦境にみまわれたりすると、それみたことかというように嘲笑し、創価を非難します。 信心してるひとでさえ、気が弱くなったり、卑下したり、信心を疑うことさえあります。
このような反応は、根本的に創価の信心を勘違いしているところからおこります。 池田SGI会長の言葉はそれを如実に知らしめていると思います。 信心はどのような苦難、苦境にも負けない、自分自身を作り上げる力なのです。 努力し行動する原動力となるものなのです。 探究心や智慧が湧いてくる源泉となるものです。  ” 鬼に金棒 ” ということわざがありますが、信心はこの金棒のようなものなのです。
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Category : 信 心Comment : (5) |

No title * by SHIn
私も信心11年目になりおすがり信仰、魔法信仰のような捉え方ではなく道理にもとずいた祈りがわずかばかりではありますができてきてるように感じます。まさに信心は仏界は苦境に負けない自分を作り上げていくものなんだ!と愚直なまでに学会員宣言をし対話のチャンスがあれば学会の正義を語り公明党の実績を語っていく中で感じております。私は心の病を持っているので精神障がいを開示しながらの学会員宣言は私なりの人権闘争でもあります。佐渡御書の一節を握りしめ師匠が日々指導し実践し抜いている“勇気ある対話”に挑んで参ります!

No title * by 気分屋
いつもアドバイス有り難うございます。 僕は勘違い信心に悩んだままです。 頭では解ってますが、やはり家族が反対の中、ただ一人信心を貫いてこられた方が人生の最終章で重い病になったり、広布に尽くしてきた方が、経済的にどん底になると、やりきれない気持ちになってしまいます。 他宗教も言っている事は、似てて、真実の宗教の証明は、実際に幸せになれたか否かと思います。心で感じる幸せも確かにありますが、やはり信心されてない人は、目の前の姿で判断します。 夕焼け様、長々すいません。信心頑張ってる人が最期まで苦戦し、 信心している人を馬鹿にしている人が、健康で経済的に恵まれているのが、やりきれないだけなんです。

No title * by 夕焼け
気分屋さん、こんばんわ。

創価を馬鹿にし、信心を蔑む人がどのように思おうが、いいではないですか。

創価を馬鹿にし、信心を蔑む人の生き方が良いと思うなら、その人についていくことです。 創価を馬鹿にし、信心を蔑む人が、親身になり、幸せを願い、心配してくれるというなら、その人の言うとおりの生き方をしてみてもいいでしょう。 人のことはとやかくいっても、 ” 自分の言うとおりにしてついてくれば、必ず幸せになれる ” と、言い切る人がその中にいるでしょうか。 言うだけでなく、共に歩んでくれるでしょうか。 

日蓮大聖人は、世間からも権力者からも、日本中から馬鹿にされ、憎まれました。 その弟子である創価が、わたしたちが、馬鹿にされるのは当たり前です。 釈迦もさんざん馬鹿にされました。 プラトンも、キリストも、ガリレオも、シューリマンも、・・・・・。 馬鹿にしたり、蔑む人が、すばらしい人間だったでしょうか。 いいえ、違います。 馬鹿にされ、蔑まされた人のほうが立派な生き方をしています。 立派な人や、成功した人は、多かれ少なかれ、世間から馬鹿にされ、軽んじられたことがあるのです。 

題目があがっていないから、生命力が弱いから、まわりの目や言葉を気にするのです。 わたしが、そうでした。 いつまでも、びくびくしながら信心していては、損です。 何十年たっても、信心の確信を掴むことはできません。 信心していても、疑い、愚痴ばかりでは、功徳もありません。 わたしは、多くの人を見てきました。 残念ながら、仏法は厳しいものです。 信力・行力がなければ仏力・法力はありません。

つづく

No title * by 夕焼け
SHinさん、おひさしぶりです。
頑張っている様子。 とてもうれしいです。

わたしにも、いろいろと悩みがありました。 唱題していて、もうこれ以上は駄目だという状況や思いも体験しました。 しかし、そんなときでも、辛いから泣きながら、問題に向かっていきました。 すると、そのぎりぎりのようなところで、パッと開けるのです。 状況も境涯も不思議と変わります。 題目の力は物凄いんです。 引き下がったら、負けです。

ところで、最近NHKで、うつ病が心の病である場合と脳の病である場合の2つがあることを取り上げていました。 治療法が違うそうです。 うつ病と言われ薬を飲み続けても、一進一退で効果がない人は、一度検査を受けてみると良いと番組で紹介されていました。 最近発見された、脳波の検査のようです。 まだ、この検査は一部の病院でしか、行われていないそうです。

プチ情報です。

No title * by 夕焼け
気分屋さん、おはようございます。

つづき

人の業は様々であります。 一律ではありません。 そのため、人にはいろいろな人生があります。 
いろいろあっても、信心によって、いい方向に向かうことは確かなのです。 病気したから、死んだから悪い方向にいっているとは限りません。 信心があれば、全部意味のある病気であり、死となっていくのです。  何かに直面しても、そういう信心をしていくことがとても大事です。 病気に負けて死んでいく生き方もできます。 勝って死んでいく生き方もできます。 永遠の生命からみたら、後者の生き方がすばらしいことなのだと判ります。 
7月26日の聖教新聞の体験談や大百蓮華の 「 本門の陣列は立つ 」 に出てくる婦人部の方の死に関する記事や7月・8月の 「 あしおと 」 の体験談を読んでみてください。 うわべだけの見方しかしない浅薄な批判など、わたしには取るに足らないものです。 廻りのことで紛動するより、自身の信心を見つめ、このままでいいのか、信心してるといえるのか、よく考えてみてください。 信を立てて、勤行・唱題し、難と戦い、仏法対話を、どこまでもまじめに実行していて、勝利しないわけがありません。
そうしないで、 ” 信心しても幸せになれなかった ” と悔やんでも、それは日蓮大聖人もどうすることもできないでしょう。

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