--------(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Category : スポンサー広告 Comment : (-) |
2012-07-13(Fri)
a99f0084.jpg


罪の償いや業のバランスシートの書き換えは、死んでから次の生で行わなければならない場合があります。 というより、罪が重いほどに次の生で償う事のほうが多いのです。 人が生まれながらに試練や不遇に会い、人間関係に苦しむのは、過去の生に原因があり、今世に解決を迫られているといえるでしょう。 地獄の苦しみを受けるだけでは終わらず、自身を変革するときに伴う困難に直面しながら、乗越えていくことが大事だと知らされているのです。 今、自身に迫られている問題を避けていては、いつまでも悪業の転換はできないのです。 他のせいにしたり、何故なんだと煩悶することより、  ”  今なのだ  ”  と定めて、勇気と忍耐の行動を取ることが必要となるのです。 求められているのです。

業というのは、生命そのものを示すものであり、一念三千に彩られる生命の遺伝子のようなものです。 因果応報の報いを受けても、この遺伝子を正常にすることが出来ないのでは意味がありません。 出来ないと輪廻の道を歩んでゆきます。 この遺伝子を正常にし、活性させる力が南無妙法蓮華経の力なのです。

たとえば、異国の民を、卑下し馬鹿にして差別した人は、死んでから、差別した国の人として生まれかわります。 そして、その人は、今度は前世に自分がしてきたように馬鹿にされ、差別されることになります。 すると、自らの劣等感にさいなまれながら、馬鹿にする国を恨み、その国の民を傷つけようとするかもしれません。 しかし、そのような生き方ではなく、人間としての価値に気づき、前世で苦しめた民を勇気づけ、励ましながら、前世で囚われた自らのエゴイズムを克服してゆく生き方も出来るのです。 さらに、差別する国の民をも啓蒙し、誤りに気づかせることが出来れば、差別された国だけでなく、差別した国も救うことが出来ます。  前者は愚かさと罪を背負う相変わらずの生き方です。 試練が、さらなる憎しみと苦しみを生んでゆきます。 後者は、自己変革の苦しみを伴いながらも、業のバランスシートを書き換えながら、悪から善の業へと転換してゆきます。 二度と罪を犯さない自分自身に成ること、試練を乗越え、ゆるぎない生命の宝を得てこそ、真に償いを完了することが出来るのです。 南無妙法蓮華経を唱えながら、試練と向かいあい、生命を高めてゆく生き方が、人としての最高の生き方なのだという所以が、ここにあります。

日蓮仏法は、因果応報・運命論の宗教ではありません。 試練のなかで、不幸と悲惨の原因となった、生命に潜む根本の悪を善に、六道輪廻から成仏へと転換していく因果倶時の宗教なのです。
関連記事
Category : 仏 教Comment : (0) |
コメント





 非公開:管理者にだけ表示を許可


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。