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2012-07-12(Thu)
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ガンジーは罪の償いを2つ挙げました。 一つは、 「 殺した人の子供を見つけ自分の子供として育てること 」 もう一つは、 「 子供を異教徒として育てること 」 です。  この二つを実現するのはとても大変なことだと思います。 言われた男もそう思ったに違いありません。 男は目を見開いて黙ってしまいました。

一つ目の条件は、自分の子供を殺した異教徒の子供を、親に代わって自分の息子のように愛するとゆうことです。 恨んだ異教徒の子供です。 仕返しにその子供を殺したくなっても、けっして不思議ではありません。 心から愛するためには、親を殺してしまった懺悔の心が無ければできないでしょう。 中途半端な心ではダメです。 悔悟と言ってもそれが本物であることが求められるのです。 二つ目は、同じ人間として、その生命の価値と尊厳を心から認められなければなりません。 異教徒への恨み、偏見、差別が生んでしまった行為ですから、その命を洗い流すことが求められているのです。
男にとっては、二つとも地獄に行くほうがましだと思えるような、逃げ出したくなるような内容です。 それに耐えしのび、自己変革してゆくことができるでしょうか。 しかし、それを乗越えなければ、罪の償いにはならないとガンジーは言っているのです。 このことは、殺した罪の償いとして、同じように殺されて苦しむだけでは、罪を贖うことができないとゆうことを示唆しているのです。 男の犯した罪の償いは、真に悔悟し、人間性を取り戻すために、試練を受けることから始めなければならないのです。 

それは、大事な、とても意味のある試練なのです。
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