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2012-07-10(Tue)
わたしは幼いころ病弱でした。 母には心配の掛けどうしだったと思います。 脱腸・自家中毒・急性胃腸炎・肺炎と、なんらかの病を発症していました。 それでも、中学の頃には体は落ち着き、元気になりましたが、こんどは心から来る体の変調に苦しんでいました。 そんな中、今の信仰と出会い、実践をしてゆくうちに、いつの間にか治ってしまいました。 それからだいぶ経って、50歳を過ぎたころから、いわゆる成人病といわれる病を抱えるようになったのです。 いまでは、肥満・高脂血症・胆のう結石・高血圧・前立腺肥大・不整脈・脂肪肝・腎臓嚢胞と、病のオンパレードです。 幸いにして、いずれもまだ軽く、たいした症状は出ていませんが、死ぬためのメニューが出揃ってきた感じがいたします。 釈迦が出家するきっかけとなる説話に 「 四門遊観 」 がありますが、人は生老病死からはけっして逃れることは出来ないようです。

人は生きていると、なんらかの病に苦しみます。 いわんや老いる前に死につながる病に襲われれば、心の葛藤に苛まれ、奈落の淵に立つ思いに駆られます。 創価の第二代会長である戸田先生や、その弟子である池田先生も、若き日にそのような苦境に遭っています。 また、創価の幹部の中には、不治の病を携えながらも、人々を励まし、希望を贈り、勇気を与えながら生き抜いた人が多くいます。
戸田先生は、若き日に結核にかかり、血を吐きながら、御本尊を揺さぶるようにして、唱題をし抜いて完治させています。 当時では不治の病だったのです。 池田先生も、若き日に結核を抱え、戸田先生の事業の苦境と広宣流布開拓の最前線に起ちながら、病と闘いながら生き抜いてきました。 池田先生の若き日の日記には次のようなところがあります。


* 不思議に、死を予感してならぬ。 これ死魔というべきか。 信心茲に七年。 最大、最高の試練に向かう。 今夜は、とくに苦しく、淋しい。 今、一人の友も無く応援なく、力は刻々と衰えていくようだ。 涙がるいるいと流れる。 ここで死ぬのはいやだ。 若干二十六星霜。 生命の奥底も極めず、人類社会に大利益も与えず、師の恩も返さず、これで死んでいくのはあまりにも残念だ

< 若き日の日記 昭和29年6月8日 > より


文京支部時代の奮闘の陰で、このように病と苦闘していたのです。
人は病と共に生きていくことで成長し、境涯を高めていくことが出来るのです。 日蓮大聖人は 『 浄名経・涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり 』 と仰っています。
  
今、病気や生活で先の見えない状況を抱え、御本尊を信じ、唱題し、仏法対話や活動に頑張っている人で、不安と悲しみに襲われ、くじけそうになっても、どうか御本尊を信じ、歩みを止めずに乗越えてください。 池田先生を初め、多くの同志が乗越えてきた道です。
池田先生は、かつて九州の青年たちに 「  わたしは、戸田先生が苦境にあったとき、公私にわたり支えました。 そのときには、それこそ1日中、歩きながらでも、少しの合間にも題目をあげて、あげぬきました。 あんなにあげぬいたことはありません。 今のわたしがあるのは、あのときに戸田先生のため、広宣流布のために懸命にあげた題目の力なのです。 」 とこぶしを握り締め、大きく両腕を広げて唱題の重要さを訴えていました。
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Category : 信 心Comment : (2) |

No title * by 気分屋
いつも勇気の頂ける内容有り難うございます。

家族や同志の方々が大きな病や事故にあったと聞くと、 とても悔しい想いになります。

この仏法の正しさを何で証明できるのか

自分自身、大きな難にあった時、今の信心の姿勢で闘いきれるのか

最近色々考えすぎて、不安感一杯です。

いつも変な内容で申し訳ないです。

No title * by 夕焼け
気分屋さん。ご無沙汰していました。

だれにでも、不安はあります。
心配しないでも大丈夫ですよ。

地道に一歩を歩んでゆきましょう。
わたしたちの一歩は、確かな道を登る一歩なのです。
山の風景は、登った人にしか見ることが出来ない風景です。
登ってきた道筋を見下ろしたときに、つらい思い出も、
至福の想いとなって胸に湧き上がってくるはずです。

信心は1歩1歩でいいのです。
山は駆け足で登ってもつまらないものです。

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