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2012-05-23(Wed)
わたしは、長らくこの問題を考えてきて、結論を出せずにいました。 しかし最近、今で言う ” 僧 ” の存在を否定するにいたる確信が生まれ、記事にすることにしました。 正確には、否定というよりも、 ” 僧 ” とは ” 仏の道を歩む者達なのだ ” と、気づかされたのです。

” 僧 ” のことなど、宗門問題が起きるまでは深く考えたこともありませんでした。 儀典の決まりごとのような存在とでも言うのでしょうか、あたりまえの存在として認識していたのです。 ところが突然の破門で、 ” 僧ってなんだろう ” と考えるようになったのです。 さらに、創価は、宗門に御本尊下付をお願いしていましたから、 ” 御本尊とは ” ということにも向き合うようになりました。
宗門の必要性の可否を考えるとき、この2つのことが深く関わってきます。 出家者を否定できても御本尊書写をどうするか、このことを明確にしなければ、宗門を無くすことはできません。 それも、日蓮大聖人の意志に違わないようにすることが必要不可欠な要件となってきます。 創価は、破門を受けても、広宣流布の戦いをやめる訳にはいきません。 今は緊急避難的に、第二十六世日寛上人の書写による御形木御本尊を頂いていますが、将来は、どうすればよいのでしょうか。 日蓮大聖人の如き聖人による書写が必要なのでしょうか。 聖人の仮面を被った人間による書写が許されるのでしょうか。 この問題は、わたしの中ではまだ結論が出ていません。 でも、そう遠くない時期に結論が出るような気がしています。 そのときには、記事にしたいと思っています。
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