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2012-05-17(Thu)
現代の出家者と言われる人たちは、在家と変わりない生活をしています。 たぶん、出家の姿は一部の修行者とホームレスにしか見られないかもしれません。

今の日本では出家者は ” 僧侶 ” という職業でしかありません。 大半が葬儀や祈祷やお守り製造で金銭を稼ぐ生業といってよいでしょう。 そのために、檀家におもねるように、都合の良い教義の解釈に夢中です。 今では、宗派の経典に関係なく、あれこれ経典を引張り出して使うようになっています。 袈裟を脱いで在家となり、袈裟を着て出家となっているコスプレでしかないように思えます。 家族も子供もいて、酒ものみ、趣味に興じ、贅沢なものを食べ、中には女遊びする者までいます。 在家でも出来ないような、恵まれた環境で優雅な生活に耽る姿もあります。 良し悪しは別として、これで出家と言うのにはあまりにも在家であります。

出家も在家も実質的に違いがなくなった現代において、このような出家者は必要なのでしょうか。 わたしの結論は、 ” いらない ” であります。 ようやく、このような結論を出すことが出来ました。 階級や特権としての出家者など、まったく必要ありません。 特に権威化された今の日顕宗など広宣流布の邪魔でしかありません。 仮に、心を入れ替えて、創価に頭を下げ、日蓮大聖人の心を取り戻し、破門を解いたとしても、宗門と創価はかつての様な関係に戻ることはまずないでしょう。 新しい時代を、新しい ” とき ” を、すでに迎えたのです。 将来の宗門は、最低限の人員で、しかも僧侶を廃止して、日蓮仏法の研究・学術・博物の専門機関となるべきです。 僧侶はその職員となり、普通の社会人として、信心のうえでいえば、わたしたちと同じように、仏法対話をし広宣流布に生きてゆくことが必要であります。

それでもあえて、日蓮門下において出家者(比丘・比丘尼)を許容するならば、出家者は日蓮大聖人のようでなければなりません。 さらに、自分の家を持たず、定住せず、質素に生活して、在家に負けないほど唱題に励み、御書の探求に勤しみ、世界のあらゆる場所で先頭に立って布教し、人道の安全保障が脅かされていると知れば、ただちに、危険で劣悪な環境に飛び込んでゆける者でなければなりません。 できるでしょうか? そのような人がいてほしい、いればいいのにと思います。 しかし、わたしは、元初の仏法が広まる時代と社会において、出家者の存在、必然や必要性は、やはり無いのだと感じます。 創価の中から、個別に、それぞれにあてはまるような生き方をする人が現れるでしょう。 それでいいのだと思います。 創価はサンガなのですから。
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