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2012-05-15(Tue)
なぜ、比丘・比丘尼と呼ばず、出家した修行者を僧と呼び、聖職者として権威や地位のある階級とみなすようになってしまったのでしょうか。 それは、釈迦の実像が虚像へと変質していった過程とも関連し、当時の王権社会や階級制度など、社会的背景や構造が少なからず影響を及ぼしています。

釈迦という偉大な実在がいなくなってから、修行者は釈迦の教えを支えに修行していましたが、やはり、求心となる存在が必要でした。 最初は直弟子がその役割を果たしていましたが、皆死んでいなくなり、やがて教団を権威化していくことで、修行の維持・継続を図るようになってゆきました。 そのため、釈迦を神格化し、やがて出家者そのものを、権力者をも越えて階級制度の上位に持ってゆくようになったのだと思います。 ようするに、バラモン化していったということです。 釈迦の死後、教団を作ることを指導的に推進していったのは迦葉(大迦葉)でした。 迦葉はバラモンの出で、そのときに染み付いた社会的観念が、知らず知らずに教団の運営に影響を及ぼしたと考えられます。 出家した者を供養することが、在家にとっての修行であり善根を積むことが出来るという考えは、バラモンの時代からあり、階級や身分制度のなかで、相互扶助的な社会構造を支えていく思潮となっていました。 バラモンと同じように、迦葉の教団は教理の追及や個としての修行にやがて熱中してゆきます。 釈迦の死後、主だった弟子が小乗経を主体として自分達の修行に専念したため、在家の援助無しに教団を維持してゆくことは困難でありました。 結果として菩薩として生きることを忘れてゆき、知らず知らずのうちに声聞・縁覚に執着していったのであります。 この原型が現在の仏教のスタイルとして継承され、民衆は出家しなければ成仏できない存在に追いやられ、僧侶に祈ってもらうしか成仏できないと勘違いするようになったのであります。

仏教は、小乗経と大乗経で成仏の過程や方法が違っています。 小乗経の修行者は他との関係性を絶ち、厭離して修行する出家主義であり、厳格に戒律を守ることを目的化し、自己の完結のみを目指していきます。 修行者は出家し、修行できるように、在家に生活をひたすら支えてもらう構図となります。 大乗経の修行者は小乗経を包みこむように戒律を受け入れ、あるいは肝要を採りながら、他との関係性の中に自己実現を目指していきます。 大乗経の修行者は出家し、在家の生活に寄り添い関わりながら、祭祀として修行する構図となります。 
大乗経といっても、法華経と他の教えでは天地ほどに違っています。 法華経では二百五十戒は破棄され、男女を嫌わず、善罪人を問わず、出家・在家に関係なく、人と動物の差別さえなくなり、修行者は ” 利他 ” と ” 信 ” の体現者となり菩薩の生き方をすれば成仏することが明かされます。 このとき、成仏のために出家する必要性が実は無くなっていたのです。 これは革命的なことでした。 しかし、法華経が説かれた時もその後も、多くの弟子が、それを信じられずに立ち去ってゆきます。 時代は法華経を受け入れることが出来ずに、やがて隠没させてしまったのです。 釈迦の予言通りに仏教の歴史は綴られます。 そして、時を待つかのように、日蓮大聖人の出現を迎えて、法華経に説かれた五百塵点劫の元初の種が開花するのです。
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