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2012-03-24(Sat)
今週、聖教新聞に掲載された新・人間革命(薫風 44・45)にとても大事なことが書かれていたので、このブログで取り上げておきたいと思います。 内容は、昭和31年(1956年)に行われた山口開拓指導での座談会の様子で、目の不自由な婦人が池田先生(当時:青年部参謀室長)に質問したところの描写であります。


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(聖教新聞2012年3月21日付 新・人間革命 薫風 45)

* 目の不自由な一人の婦人が手をあげて質問した。
子どもの時に失明し、入会して信心に励むようになって1カ月ぐらいしたころ、少し視力が回復した。 しかし、このごろになって、また、元に戻ってしまった。 果たして、目は治るのかという質問である。
” 室長は、なんと答えるのか …… ”
酒田は、固唾をのんで見ていた。
伸一は、その婦人の近くに歩み寄って、婦人の顔をじっと見つめた。 そして、彼女の苦悩が自分の苦悩であるかのように、愁いを含んだ声で言った。

「 辛いでしょう。 本当に苦しいでしょう。 」

彼は、婦人の手を取って、部屋に安置してあった御本尊の前に進んだ。

「 一緒に、お題目を三唱しましょう 」

伸一の唱題の声が響いた。 全生命力を絞り出すような、力強い、気迫のこもった、朗々たる声であった。婦人も唱和した。
それから、伸一は、諄々と語っていった。

「 どこまでも御本尊を信じ抜いて、祈りきっていくことです。 心が揺れ、不信をいだきながらの信心では、願いも叶わないし、宿命の転換もできません。 御本尊の力は絶対です。 万人が幸福になるための仏法なんです! 」

山本伸一は、さらに力を込めて、目の不自由な婦人に訴えていった。

「 あなたは、自分も幸せになり、人びとも幸せにしていく使命をもって生まれた地涌の菩薩なんです。 仏なんです。 一切の苦悩は、それを乗り越えて、仏法の真実を証明していくために、あえて背負ってきたものなんです。 仏が、地涌の菩薩が、不幸のまま、人生が終わるわけがないではありませんか! 何があっても、負けてはいけません。 勝つんですよ。 勝って、幸せになるんですよ。 」

誰もが、伸一のほとばしる慈愛を感じた。 婦人の目には、涙があふれ、悲愴だった顔が明るく輝いていた。
酒田英吉は、指導、激励の ” 魂 ” を見た思いがした。 ” 指導というのは、慈悲なんだ。 同苦する心なんだ。 確信なんだ。 その生命が相手の心を揺り動かし、勇気を呼び覚ましていくんだ! ”

< 新・人間革命 薫風 44・45 >より


どんなことでも、それを成就させるのは、人の、希望を抱いて諦めることのない心と祈るような真剣な行動にあります。 信心においても、やはり同じです。 大事なのは 「 どこまでも御本尊を信じ抜いて、祈りきっていくこと 」 ではないでしょうか。 御本尊を信じ抜くというのは、自分を信じ抜いていくことと同じなのです。 
このご婦人の目が、その後どうなったかは判りませんが、池田先生の激励に応え、信じ抜いて祈りきっていったのではないでしょうか。 目が見えるようになったに違いありません。 たとえ、生理的に目が見えないままだったとしても、信心で心の目を開き、苦悩に押し潰されていた境涯から、人の苦悩を思いやり、同苦し、励ましていくほどの境涯に、きっとなっているはずです。 依正不二ですから、まちがいなく、幸せに満ちた中で微笑みながら、家族や友人に信心のすばらしさを語っていることでしょう。
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Category : 信 心Comment : (8) |

No title * by SHIn
私もうつで治療中であり中度難聴ですが池田先生に毎月御報告する中、であればこそ同じ病気で悩んでいる方の良き理解者に!と強く想うようになりました。現在闘病中の為無職ですが今回の支援の戦いで経済革命を!と決意しております!地元の壮年部から仏法は道理だから祈り動いて真面目に仕事して初めて経済革命は為せるんだよとの指導は受けておりますが私は支援の戦いは必ず経済革命を起こせると信じ祈り活動します!

No title * by 夕焼け
SHinさん、おはようございます。

わたしは、小学6年から中学1年のときに、今で言うパニック症候群を経験しています。 初信の功徳で治りましたが、その後ときどき現れ、しばらくは引きずっていました。 この病も意識ではコントロールできません。 そして心の緊張と体の生理的な症状に苦しめられます。 自由のきかない自分に追いやられていきます。 しかし、信心で治しました。 経済革命は時間がかかりますが、信心と努力で必ず打開できます。 福運を付けてください。
支援の戦いについては、記事にしようと思っていましたので簡単に話しますが、50、100、1000でも支援そのものにたいした功徳はありません。 支援の戦いで大きな功徳を積む人と積まない人がいます。 大きな功徳を積む戦いにしてください。

同じような病の人のためにも、うつの克服を御本尊に祈りましょう。
わたしも祈ります。

No title * by SHIn
夕焼けさん、ありがとうございます。了解です(^O^)

No title * by 気分屋
はじめまして。 支援そのものには大きな功徳がない。大きな功徳を積む戦いを、とありましたが、もう少し詳しく指導して頂けないでしょうか。 わたしは壮年部です。家庭訪問は好きなのですが、法戦は昔から苦手です。人に会うのは得意なのに、あの支援を頼むときの空気と、買いたくないもの買ってまで、店の人に頼むのはもう苦痛の域に入ってしまいました。組織にいてもこの時期は非常に辛いです。 支援に燃えている方との温度差がありすぎなんです。なんとかしなくてはとの気持ちはあるのですが。 ご指導宜しくお願い致します。

No title * by 夕焼け
気分屋さん、ようこそ。

わたしは、宿命転換・一生成仏の功徳があるのは、御本尊に唱題することと、御本尊のすばらしさを語ることしか無いと思っています。 このことをちゃんと踏まえていれば、仕事の闘いでも大きな功徳を積むことができます。 病気との闘いもそうですし貧乏との闘いもそうです。 創価の体験談はみんなそのことを雄弁に物語っていると思いませんか。 法華経の兵法をもって闘うところに大きな功徳の花が咲く、というのが日蓮仏法の第一原理ではないでしょうか。 
仏法は勝負だ、とよくいわれますが、これは、なんでもかんでも勝たなければダメだという意味ではありません。 勝つことを目標に闘わなければいけませんが、最後に勝てばいいのです。 また、アインシュタインの言葉に 「 人間としての真の偉大さに到る道はひとつしかない、何度も酷い目にあうという試練の道だ 」 とあるように、人間として勝てばいいのです。 わたしは常々、折伏の成果など気にするなと言っています。 悩んで、唱題して、仏法対話して、人間革命するのが何よりの成果なのだと。 この根本を忘れた学会活動など学会活動ではないと思います。 支援も啓蒙もそう思っています。 
支援はしたくないと思うならばしなくていいのではないでしょうか。 いつも通り仏法対話して、創価の理解と信心する人を一人でも多く増やす戦いをしていきましょう。

No title * by 気分屋
ありがとうございました。
今後とも宜しくお願いします。

No title * by ちよ
自在会のメンバーのところ、コピーさせていただいていいですか?

No title * by 夕焼け
ちよさん、こんにちは。
返事が遅れて申しわけありません。

当ブログの ” 著作権について ” に書いてあるように、画像を除いて引用の範囲で使うのであれば、承諾なく記事のコピーOKです。

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