--------(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Category : スポンサー広告 Comment : (-) |
2012-03-22(Thu)
blog_import_523d711e2f49a.jpg

SGI池田会長は折々の会合で御書をひもとき、次のように語られております。


【 本文 】 崇峻天皇御書 (P1173) 
『 人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ 』

【 通解 】 
『 人間として生まれてくることはむずかしい。 あたかも爪の上の土のように、わずかなことである。 また、たとえ人間として生まれてきても、その身をたもつことはむずかしい。 太陽が昇れば消えてしまう草の上の露のように、はかない。 百二十歳まで長生きし、汚名を残して死ぬよりは、生きて一日でも名をあげる事こそが大切である 』

【 指導 】
* 長生きしたから、いい人生とはいえない。 何を残したか、どんな価値を生んだか、どれだけの人を幸せにしたかである。
その意味で、結論的にいえば、広宣流布に生きることが、即、最高の人生となる。 広宣流布に生きぬくことは、そのまま、社会への最大の貢献になっている。 自他ともに幸福になる。 仏法は即社会、そして信心は即生活であり、一体である。 ゆえに大聖人は、法華経のため、広宣流布のために働き、名を上げなさい、限りある一生に、自分はこれだけやりきったという悔いのない歴史をつくりなさい、残しなさい、と教えられているのである。

< 御書とその心 >より


人として生まれ来ることは、とても稀である。 そのように仏法では説いています。 やっと人として生まれてきたのです。 それでは、何のために? ” 仏に成るため ” と三仏は教えてくれています。 
しかし、この身は儚く、人生もあっというまであります。 この御文は ” 毀誉褒貶に流され、わずかの幸せに執着し、山野に朽ちるくらいなら、仏の道を歩ゆむために身命を惜しんで、なんとしようか ” との日蓮大聖人のお言葉と拝したい。 仏の道とは、広宣流布に生き抜く道であります。 今になって、つくづく、解るようになりました。 馬鹿の智慧は後から出てくると言われていますが、口惜しい限りではあります。 ですが、本因妙の仏法でありますから、今の今が久遠元初でありますから、容易ではないですが、その道を生き抜いていきたいと思っております。
関連記事
Category : 御 書Comment : (0) |
コメント





 非公開:管理者にだけ表示を許可


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。