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2012-03-19(Mon)
2012年2月23日の「 十四誹謗の根源 」という記事のコメントを削除いたしましたが、連絡事項008で触れましたように非公開コメントとして復活させていただきます。 このブログの機能上、一度削除するとコメントでの復活ができないために記事とさせていただくことにしました。


1. No.1 2012年03月07日 22:59
非公開コメント

2. 夕焼け 2012年03月08日 16:47
ようこそ、N0.1さん。
コメントありがとうございます。

> 功徳はないと断言されているのでしょうか?

” 此の経 ” とは、法華経です。  ” 此の経の心 ” とは、ここでは、法華経の中でも譬喩品第三と宝塔品第十のことを指しています。 つまり、その後に出てくる 『 此の経の四の巻には 「 若しは在家にてもあれ出家にてもあれ、法華経を持ち説く者を一言にても毀る事あらば其の罪多き事、釈迦仏を一劫の間直ちに毀り奉る罪には勝れたり 」 と見へたり、或は 「 若実若不実 」 とも説かれたり、之れを以つて之れを思ふに忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか 』 のことです。
松野殿御返事(十四誹謗抄)では ” 背いて唱えば其の差別有る ” と日蓮大聖人は記されていますが、今回の記事の御書では ” 功徳なしかへりて罰をかほるなり ” と明確に仰っています。 このことから思うに、” 差別 ” とは功徳と罰を指していると思います。 簡単に言えば、 1-1=0 あるいは 1/3-1=-2/3 あるいは 2/3-1=-1/3 ということでしょうか。 功徳は無いといってよいでしょう。

その他のお尋ねは、 ” 此の経の心に背く ” ことが無く、信行学に励み自行化他の唱題をするならば  ” 釈尊の御功徳と等しかるべし ” でよろしいのではないでしょうか。 なかなか出来なくて悩みながら唱題をするのは、求道心から来るところの煩悩ですから、おおいに悩んで唱題してください。

3. No.1 2012年03月08日 19:59
非公開コメント

4. 夕焼け 2012年03月08日 21:00
No.1さん、こんばんわ。

信ずる心と自行の勤行・唱題と化他の仏法対話がないと、功徳はとても少ないです。 宿命転換するためには、この3つがどうしても必要です。 随力演説とは、今月の座談会御書の諸法実相抄にあるように、 ” 力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし ” でいいのです。 今日の新・人間革命にあるように、体験からくる信心の確信(決意)と相手を思う唱題があれば、あとは、自分らしく、素直な気持ちで語っていけばいいのです。 悩みながら唱題し、仏法対話していくところに功徳が増していくのです。 喜びが大きいのです。 勇気を出して一歩を踏み出せば出来ます。

5. No.1 2012年03月08日 23:10
非公開コメント

6. 夕焼け 2012年03月09日 06:44
No.1さん、おはようございます。

非公開No.1さんが一闡提ですか? 唱えがたき題目を唱えている非公開No.1さんが一闡提なんてありえません。 仏法対話するのは、とても勇気が要ります。 なぜならば、仏法や御本尊のことをすばらしいと人に話すと、とても功徳があるからです。 魔はそれをとても嫌います。 御本尊に唱題するときに、少しでも広宣流布のお役にたちたい、たたせてくださいと祈っていくといいですよ。 この信心をしていて、御本尊に唱題していて、変わらないはずはありません。 前にも言いましたが、求道の心があるのですから、” 法華経の心 ” に背く形になっていることなどありえません。

信ずる心と自行の勤行・唱題と化他の仏法対話、この3つをちゃんと揃えて信心するのは誰でも簡単ではありません。 一時はそうでも続けていくのが大変です。 しかし、悩みながらも信心をしていくと、自然と、話したい、唱題したい、ありがとうございます、と思えるようになります。

< N0.1さんとのQ&A >より


わたしも以前活動しなかった時期があります。 申し訳ないという気持ちや罪の意識にとらわれたこともあります。 このようなことは、信心以外でもあります。 学生時代には ” 勉強しないと ” 社会人のときには ” 仕事に真剣に取組まないと ” と思うけれど、出来ない自分が情けなく、不甲斐ないと責めていましたが、これは向上心があるからこそです。 向上心がなければそんな思いは生まれません。 信心も求道心がなければなにも感じないし思うこともないでしょう。 求道心はとても大切なものなのです。 しかし、求道心はあっても出来ないというのが現実です。 だけれども、悩みながら御本尊に唱題していくならば必ず出来るようになります。 人間の身体だって生まれてから1日や2日で大人には成長しません。 また大人に成長するまでいろいろとあります。 創価から離れずに唱題を重ねていくならば、自分でそうなることもあれば、そうならざるおえない状況に不思議となっていきます。 それが御本尊、創価の信心の力なのです。
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