--------(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Category : スポンサー広告 Comment : (-) |
2012-02-13(Mon)
blog_import_523d7fb49b2e1.jpg


先月は座談会御書で一生成仏抄を学びました。 この中に 『 妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらずそ法なり、そ法は今経にあらず今経にあらざれば方便なり権門なり、方便権門の教ならば成仏の直道にあらず成仏の直道にあらざれば多生曠劫の修行を経て成仏すべきにあらざる故に一生成仏叶いがたし、故に妙法と唱へ蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり 』 という御文がありますが、わたしたちは、この御文の意味を解っているようで、実は解っていないということが多いのです。 どうゆうことかといえば、わたしたちの信心が無意識に、御本尊に漠然と頼るような信心になっていることが多い、ということなのです。  自分でなく御本尊が何かしてくれるとゆう感覚です。 これでは、信心する前からの宗教観を引きずった信心といえるでしょう。 この御文は、 ” そうじゃないんだよ ” という日蓮大聖人の慈悲のお言葉であり、ご指南なのです。

子が親を求めるように御本尊を慕って、祈ることは正しいことなのですが、 ” なんとかしてください ” ではダメなのです。 御本尊はなんともできません。 一生成仏を目指すならば、この御文を胸に刻み、御本尊に対座して南無妙法蓮華経と唱え、考え、行動することがとても大事なのです。 この信心は、御本尊に唱題して、自らに具わる仏界の生命を湧現させ、己心の九界を仏界所具の九界としていく作業であり、その修行を現実の九界の世界の中で行い、顕わしていくものなのです。 「 一人の人間における偉大なる人間革命は、やがて 一国の宿命転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする 」 という方程式です。 病気が治る、貧乏が裕福になる、悩みが喜びに変わる、人間関係が好くなる、仕事に意欲が生まれる、努力できるようになる、気力が充実する、勇気が湧く、人を思いやれる、真面目になる、悪にひきずられない・・・・・・等々。 全部、自分から出てくるものが淵源となって変わるものなのです。 自分が変われば廻りの環境・状況も変わるし、周りの環境・状況に負けることなく、随自意の生き方が可能となってくるのです。

本来、病気だって自分が治すものなのです。 人間の治癒力がなければ現代の医学ではなんだって治せません。 一ヶ月も生きていられません。 自分の骨髄から、幹細胞を採取して培養し、壊死しかけている足に定点注入して毛細血管の再生で壊死を食い止め、切断せずに済んだり、癌の最先端治療にワクチン治療が研究されているのも、IPS細胞の活用も、全部人間に元からある力の発現で治療するものなのです。  そうかといって、禅宗のように、自分がそう思えば、そうなるというものでもありません。 医者がいて、治療法があって、治癒力があって、励ましがあるから治るのです。

わたしたちの信心に当てて考えれば、同志の励ましに勇気を貰い、御本尊に南無妙法蓮華経と唱え、仏法対話をして、自身に仏の生命が満ちて諸天の守りが働くから、ちゃんと病気が治るのです。 信心の体験で、癌が無くなった、目が見えるようになった、歩けるようになった・・・・・・等々。 御本尊に力があるのは確かだが、御本尊が治すのは、体の病気ではありません。 悪い宿業です。 生命の病です。 九界即仏界から仏界即九界へと生命を治すのです。 そこから、驚くような治癒が自身や廻りから行われていくのです。 それだけの生命力が秘沈されているのです。 宇宙の働きを司る諸天も最大限に働くから、よい医者に巡り合ったり、治療や発見のタイミングが良かったり、副作用も無く薬が効いたり、となってくるのです。 貧乏だって、人間関係だって、商売だって同じです。 信心すれば頭だって良くなるのです。 脳に障害があって、身体もコントロールしづらく知能も未熟で、社会生活も危ぶまれるような子供が、成人する頃には、社会で働き、創価班員になって、自立していくのを、わたしはこの目で直に見てきました。 母と子の信心の賜物です。 持続の信心の凄さは計り知れません。 

わたしたちの信心は、現実の世界と交流しながら、南無妙法蓮華経を生命に染みわたらせ、御本尊を肉弾に顕わして生きて行くことが目標なのです。 病気していようと、貧乏であろうと、悩みがあろうと、迫害されようと、微動だにしない大我の境涯でいられ、それらを種にして、あるいは薪として、自在に価値や幸福を創造し感じていくことができるようになるのです。

「 我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり 」 のお言葉をよくよく思うべきであります。
関連記事
Category : 信 心Comment : (4) |

No title * by SHIn
“当体”と言う事ですよね。これを身読するには現実社会で切磋琢磨するしかないですね。人間革命の首題これ程一生成仏の定義を現代用語で簡潔に教えてくれている文章はないと思ってます。そこを目指しているわけですからね。

No title * by 夕焼け
SHInさん おはようございます。

社会や家庭や地域が、信心を鍛える道場と思えるようになれば、一歩前進です。共に頑張りましょう。

はじめまして。 * by すまいる
こんにちは、はじめまして(^-^)
過去の記事にコメントして、気づいてもらえるでしょうか?
仕事の人間関係で悩んでいた時にこの記事を何度も読み返しました。
今もずっと原点になるこの記事を見て奮闘しています。
今は自分を取り戻し、職場でも環境も人間関係も整ってきました。
本当にありがとうございます(^-^)
この記事で軸にさせてもらってます。
大好きな先生の元、今日も頑張ります(^^)

* by 夕焼け.
すまいるさん。 おはようございます。

よかったですね。 (^^

このブログを開設した意味がありました。
こちらこそ、ありがとうございます。

同じようなことが起こったとしても、
信心で開拓した境涯は崩れることはありません。
生命の財産となります。

先生と共に、題目をあげて、今日も頑張りましょう。

コメント





 非公開:管理者にだけ表示を許可


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。