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2012-01-12(Thu)
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SGI池田会長は折々の会合で御書をひもとき、次のように語られております。


【 本文 】 顕立正意抄 ( P537 ) 
『 但だ名のみ之を仮りて心中に染まざる信心薄き者は設い千劫をば経ずとも或は一無間或は二無間乃至十百無間疑無からん者か是を免れんと欲せば各薬王楽法の如く臂を焼き皮を剥ぎ雪山国王等の如く身を投げ心を仕えよ、若し爾らずんば五体を地に投げ・身に汗を流せ、若し爾らずんば珍宝を以て仏前に積め若し爾らずんば奴婢と為つて持者に奉えよ若し爾らずんば等云云、 四悉檀を以て時に適うのみ、我弟子等の中にも信心薄淡き者は臨終の時阿鼻獄の相を現ず可し其の時我を恨む可からず等云云。 』

【 通解 】 
『 ただ名ばかりで、心中に染まることのないような信心の薄い者は、たとえ千劫までは経なくとも、一生、二生、あるいは、十生、百生の間、無間地獄に堕ちることは、疑いないでしょう。 それをまぬかれようと思えば、薬王菩薩や楽法梵志のように、ひじを焼き皮をはいで法を求めなさい。雪山童子や阿私仙人に仕えた国王のように、法のために我が身を投げ捨てなさい。 もしそれが出来なければ、五体を地に投げて全身に汗を流しなさい。 もしそれが出来なければ、珍しい宝を仏前に積みなさい。 もしそれができなければ、従者となって、法華経を持つ者に仕えなさい。 もしそれが出来なければ・・・・・ 時に適うようにしなさい。 わが弟子等のなかにあっても信心の薄い者は、臨終の時に阿鼻地獄の相を現じるであろう。その時に日蓮を恨んではならない 』

【 指導 】
* 信心しているからといって、安閑としていては、一生成仏の大道を進むことはできない。 名ばかりの信心では、真の功徳はない。 そればかりか、もっとも大切な 「 死 」 を大苦悩のなかに迎えてしまう場合もある。 それでは信心したかいがない。 ひとたび正法に巡りあえた以上、悔いなき求道の人生に徹していく、そして信心の喜びにあふれ、勇んで法を弘めゆくことこそ、正法を受持しえた私どもの使命であり、権利である。

< 御書とその心 >より


とても厳しき現実である。 仏法は峻厳な生命の法なるが故なのです。
ここで誤解してはならないのは、信心するうえで仏法のために 「 ひじを焼き皮をはぐ 」  、 「 我が身を投げ捨てる 」  、 「五体を地に投げて全身に汗を流す 」 、 「 宝を仏前に積む 」 、 「 法華経を持つ者に仕える 」 等々をしなければいけない、あるいは、すればよいということではないのです。 「 四悉檀を以て時に適うのみ 」 とあるように、末法においては折伏そして学会活動を行うことですが、同じであります。 日蓮大聖人は、形だけの姿であってはならない、深き ” 信 ” をとって 「 信心の喜びにあふれ、勇んで法を弘めゆく 」 広宣流布に生きゆく心、姿が大事だと仰っているのです。
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